李行簡
- 字は從易。同州馮翊の人。家は貧しかったが学問に志を刻み、六経を読んで夜半・寒暑を問わず学び続け、木葉を集めて習字し筆法は力強かった。里中の富人楊士元と同じ師に学び、共に進士に及第した。士元が資財を贈ろうとしたが行簡は受け取らなかった。
- 隴州司理參軍から出仕、彭州軍事推官に徙った。陵州の富民陳子羙の父が死んだ際、継母が偽の文書を作って子美を追い出し訴えても直らなかったが、轉運使の檄で行簡がその獄を正した。秘書省著作郎に改められ、太常博士に再遷、坊州知州となった。御史中丞の王嗣宗が監察御史に薦め、王旦もしばしばその才を称え、真宗も雅にこれを知っていた。
- 侍御史に再遷、陝西の旱蝗の際に安撫に赴き倉粟を発して救済し、耀州の積年の逋租を蠲除した。龍圖閣待制に擢され尚書刑部郎中を歴任。帝がしばしば龍圖閣に幸し周易を講じさせ、あわせて大臣の能否を問うと、行簡の対えには恨みや偏りがなく各々の長所を述べたため、人々は長者と評した。久しくして右諫議大夫・集賢院學士に拝され、乾興初に給事中に改められ、足の疾により外任を請い河中府知府に得て虢州に徙り卒した。