宋史卷三百 列傳第五十九 楊大雅

誠実な学者

  • 楊大雅、字は子正。唐の楊虞卿の後裔で銭塘に住し、宋初に宋州に移住。学問を好み、進士及第後、多くの地方官・監司を歴任。真宗の藩邸諱を避け名を「侃」から改めた。
  • 直集賢院に二十五年在任し昇進が遅れたが「世に阿らず聖人に学んだ」と自らを慰めた。船が転覆した際、丁謂が贈った衣を辞退し、丁謂・王欽若の不興を買った。陳從易と共に知制誥に任じられ、文章の風潮是正の象徴とされた。『大隠集』三十巻、『西垣集』五巻、『職林』二十巻、『両漢博聞』十二巻など著作多数。

史論

宋の太平の時代、兵法に通じた文人は少なかったが、楊偕・王沿は辺事についてたびたび上書し、得失はあれど一時の俊才であった。楊畋は将家の子として学問に励み進士に及第、猺族討伐で勝敗を経験した(兵家の常)。杜𣏌・徐的はいずれも宜州蛮征討で功を立てたが、杜𣏌は降伏者を殺して信を失い、徐的は恩をもって招撫した点で優劣が分かれる。周湛は強敏で治績を残し、弓術にも優れた「文臣にして武事を習う者」であった。王鼎は孝友で自奉倹約、財に疎く清廉、不正の摘発で恨みを買ったが「虎」とまで呼ばれたのは行き過ぎであろう。 姚仲孫は才力で名を挙げた能吏、陳太素・馬尋・杜曽は法理に通じた良吏であった。李虚巳・俞獻卿は朝廷での大節こそ目立たぬが他官では吏才を発揮した。陳從易が寇凖への義理を貫いた言葉、楊大雅が丁謂の贈物を辞退した振る舞いは、権奸をも恥じ入らせるものであり、尊ぶべきである。