徐休復
- 字は広初。濮州鄄城の人。太平興国初、進士に挙げられ大理評事に解褐。転運使を通判し、その才を薦められ代わって帰ると太子右賛善大夫を授かり著作郎に改まり直史館・緋魚を賜う。左拾遺に遷る。太平興国6年(981年)、右補闕を加え両浙東北路転運副使を充て知明州に移る。太平興国7年(982年)秋、召されて赴闕、翌年、庫部員外郎・知制誥を授かる。太平興国9年、知広州として出る。この歳、水部郎中を加える。
- 雍熙2年(985年)、就いて比部郎中に遷り枢密直学士を充て金紫を賜り旧のまま知州事。休復は転運使王延範と不協で、延範が私に術士を養い過客を厚遇し部下の吏を撫すこと恩があること、書を旧友の韋務昇に発し隠語で朝廷の事を偵ったことを奏した。反状はすでに具わっていたため、詔で内侍閻承翰を遣わし休復と共にこれを按劾し、ついに法に抵触させた。
- 端拱初、左諫議大夫を加え召されて戸部使となる。淳化元年(990年)、使を罷され給事中に遷り連ねて青・潞二州を知る。休復は先に父母を青社に薬葬したため州事を領したいと上言し、丘壠を営むため青州に至ったが、1年を越えても財貨を集めるばかりで終に葬事を言わなかった。潞州に至って数月、腦に瘍が生じ、病が甚だしくなると王延範の幻を見るようになり、休復はただ号呼して死罪と称するだけで、数日後に没した、享年53。休復は他に能なく誥命を掌ることは職に称わず、履行も縉紳の間で称えられなかったという。