宋史卷二百七十六 列傳第三十五 臧丙

臧丙

  • 字は夢寿。大名の人。弱冠にして学を好み、太平興国初、進士に挙げられ大理評事に解褐。大寧監を通判し、官が民に井を煮て塩を作らせる政を職として兼領した。以前は官が銭を給して薪を市っていたが吏の多くが侵牟し歳課が不足し、これに連座して械繋される者が常に数十百人いた。丙が至ると井戸に銭を面付し、まもなく市る薪は山積し歳の塩に羨数が出るまでになった。
  • 太宗の晋陽平定後、丙を右賛善大夫・知遼州とした。丙は素より剛果で吏幹があった。折しも同年生の馮汝士が秘書丞・知石州として監軍と不協であった際、ある夜に腹を刺されて死ぬという事件があり事は疑わしかった。丙は上疏し「汝士の死は自殺ではない」と述べ按治を乞い、上はこの奏を見て驚愕し即座に使者を遣わし鞫させ、丙を召してその状を問うた。丙は「汝士は牧守の任にあり私罪があったとは聞かない、それを自殺と言うのは、もし冤死が明らかにされなければ宿直に加わらなかった者が罪となる、今後書生は辺郡を治められなくなる」と述べた。
  • 上はその剛直を嘉し著作郎に改まる。まもなく右拾遺直史館に遷り工部員外郎を加え河東転運使を充て、まもなく本路管田使を兼ねる。代わって帰ると戸部郎中を授かり同知審官院。朝廷はまさに九等亜列を重視していたため司農少卿に改まる。淳化2年(991年)、右諫議大夫を拝し知江陵府として出るが、歳余りで病を得た。上はこれを聞いて中使と尚医を馳せて視させたが、月を越えて没した、享年53。上はこれを軫悼し子の待用を四門助教とした。
  • 丙は旧名を愚、字は仲回といった。孤児となった後、常に亡父が夢に現れる中、丙が偶然庭に立って空を指し「老人星が見えた」と言った夢を見た。仰ぎ見るとその星は黄色く明潤で大きく、望んで拝礼した。目覚めて丙は密かに「吉祥だ」と喜んだ。寿星が「丙」に出て「丁」に入るとして、これにより改名した。ところが今回はその予兆と符合しなかった。丙は礼としてもとより改名すべきでなく、古人が数々の占夢に妄りに喜ぶことを戒めたのはこのためであった。待用は金部郎中・東染院使・賀州刺史を歴任、次子の列は進士及第し太常丞に至った。