宋史卷二百七十五 列傳第三十四 郭密

郭密

  • 貝州経城の人。躯幹雄偉で膂力人に絶した。幼くして孤児となり母に従って同郡の王乙に嫁ぎ、これにより王氏を冒姓した。知瀛州馬仁瑀の推薦により晋王の帳下に隷し左右に給事した。太宗即位後、指揮使に補し郭氏に復姓する。淳化間に至るまで8遷して貝州駐泊兵馬部署に移る。
  • 折しも夏人が辺を寇した際、密の武略を認められ安州観察使を領し霊州兵馬都部署に抜擢される。士卒を訓練し号令は厳粛で夏人は畏服し、辺境はこれを頼りに寧謐であった。至道2年(996年)没、享年58。保順軍節度を贈られる。

傅思讓

  • 冀州信都の人。若くして無頼で勇力があり騎射を善くした。太宗が晋邸にあった頃、親事都校に補し即位後は衞士直長に補す。累遷して平州刺史に至り、詔を奉じ契丹兵を唐興口で破った。端拱中、4遷して容州観察使となり知莫州から隴州に移る。上は殿中丞林特を州事の判官として同判させ思讓を夾輔させたが、これは思讓の所為に不法が多かったためである。至道2年(996年)没、享年74。保順軍節度を贈られる。

李斌

  • 青州の人。太宗が晋邸にあった頃その状貌の魁偉なるを聞いて左右に召し置いた。即位後、御龍直副指揮使に補す。太平興国中、天武指揮使として鄭州刺史を領す。太平興国7年(982年)、かつて秦王廷美の饋遺を受けたことに連座し曹州都校に貶される。
  • 雍熙3年(986年)、営州刺史に遷る。雍熙4年(987年)、溪州団練使を領し貝・冀二州駐泊都監を連ねて務める。淳化中、萊州・洺州団練使を継領し政治に勤め人々はその清慎に服した。転運使陳緯が状を朝に聞かせた。至道初、桂州観察使を拝し判洺州のまま滄州に徙る。代わられる際、吏民はその離任を忍びず隣境もその善状を上奏し詔書で褒美された。咸平3年(1000年)没、享年61。