宋史卷二百七十五 列傳第三十四 薛超

薛超

  • 遼州平城の人。若くして勇力があった。乾徳初、募られて虎捷卒となり崔彦進の蜀討伐に従い功録により虞候に補し十将に遷る。太平興国初、4遷して天武指揮使に至り太原征討に従い遊騎千人を領して鎮定境上を防備し軍勢を張った。
  • 車駕還幸の後、契丹が頻繁に鎮定を寇し侵掠が止まなかった際、超は大将劉廷翰に従い徐河に兵を率いて至った。賊将が騎兵10余を率いて挑戦してきたところ、超は馬を躍らせ直進し連射で数人を斃し敵勢はついに退いた。大軍がこれに乗じて奮撃し首万余級を斬った。功により歩軍都軍頭を加え神衞軍都校に遷り叙州刺史を領す。
  • 雍熙3年(986年)、潘美の北征に従い雁門西陘路に至り契丹に遇いまた戦って破り、寰州まで追撃し首500余級を斬りその将趙彦辛は城を挙げて降った。超は続けて創を受け流血が甲を濡らしたが軍士を部署すること平常と変わらず、勝ちに乗じて応州に迫るとその節度副使艾正が城を挙げて降った。還って馬歩軍都軍頭を加える。淳化初、鎮州に屯し天武指揮使に遷り澄州団練使を領す。至道元年(995年)没、享年57。

丁罕

  • 頴州の人。募られて衞士に補し累遷して指揮使に至る。劉廷翰に従い徐河で戦い橋を奪う功により本軍都虞候に遷り、累遷して天武指揮使に至り奨州団練使を領す。淳化3年(992年)、沢州団練使として出て知霸州となる。折しも河が溢れ城壁を壊した際、罕は私財を出して募集し修築させ民はこれに徳を感じた。
  • 淳化5年(994年)、容州観察使として霊環路行営都部署を領し李継遷と戦い斬獲は数万に及んだ。至道中、大将李継隆に従い青岡峡に出撃、賊は聞いて先に逃げ10日間追ったが会わずに帰った。至道3年(997年)、密州観察使を正授され知威虜軍から貝州に徙る。咸平2年(999年)没。子の守徳がその家を継いだ。

趙瑫

  • 貝州清河の人。衞士から累遷して龍衞指揮使に至る。また徐河の戦功により鎮州団練使を加え兵馬部署に至る。至道2年(996年)、官にて没した、享年70。帰義軍節度使を贈られる。