宋史卷七十三 律厯志第二十六 律暦六(崇天暦・歩交會/歩五星)
歩交會(日月食算出法)
- 基本定数:交終分二十八萬八千一百七十七秒四千二百七十七。交終日二十七餘二千二百四十七秒四千二百七十七。交中日一十三餘六千四百一十八秒七百三十八半。朔差日二餘三千三百七十一秒五千七百二十三。後限日一餘一千六百八十五秒七千八百六十一半。望策十四餘八千一百四秒五十。前限日十二餘四千七百三十二秒九千二百七十七。交率一百四十一。交数一千七百九十六。交終度三百六十三度七十六分。交象九十度九十四。半交一百八十一度八十八。陽暦食限四千二百。陽暦定法四百二十。陰暦食限七千。陰暦定法七百。
- これらの定数を用いて、天正十一月経朔加時入交、次朔及び望入交、定朔夜半入交、次定朔夜半入交、朔望加時入交常日、朔望加時入交定日、月の入陰陽暦、朔望加時月の入陰陽暦積度、朔望加時月の去黄道度をそれぞれ求める算式が続く。
- 食甚の時刻に関して、食定餘、日月食甚辰刻、気差、刻差、日入食限を求め、日食分(陽暦食限・陰暦食限による大分・小分の判定)、日食汎用分、月入食限、月食分、月食汎用分、日月食定用分、日月食虧初復満小餘、月食更籌定法・入更籌をそれぞれ求める算式が示される。
- さらに、朔望食甚宿次、月食既内外刻分、日月帯食出入分数を求め、「求日食所起」として、日が陰暦にあれば西北に初起し正北で最も欠け東北で復するとし、陽暦にあれば西南に初起し正南で最も欠け東南で復するとし、食が八分以上なら正西に起こり正東で復するとする(いずれも午の方位を基準とした場合で、実際の方位は黄道の傾きと月行の向きにより異なる)。「求月食所起」も同様に、月が陰暦にあれば東南に初起し正南で最も欠け西南で復し、陽暦にあれば東北に初起し正北で最も欠け西北で復するとする。
歩五星(第一次崇天暦の数値)
- 五星会策十五度二十一分秒九十。
- 木星:周率四百二十二萬四千五十八秒三十二。周日三百九十八餘九千二百三十八秒三十二。歳差一百三秒六。伏見度一十三。
- 火星:周率八百二十五萬九千三百六十六秒五十九。周日七百七十九餘九千七百五十六秒五十九。歳差一百三秒五十三。伏見度二十。
- 土星:周率四百萬三千八百七十二秒三十九。周日三百七十八餘八百五十二秒二十九。歳差一百三秒七十八。伏見度一十六。
- 金星:周率六百一十八萬三千五百九十九秒一十六。周日五百八十三餘九千六百二十九秒一十六。歳差一百三十秒八十。夕見晨伏度一十一。晨見夕伏度九。
- 水星:周率一百二十二萬七千一百七十秒二十八。周日一百一十三餘九千三百二十秒二十八。歳差一百三秒九十四。夕見晨伏度一十四。晨見夕伏度二十一。
- 各星について変目・変日・変度・限度・初行率、および盈縮暦(会数・損益率・盈積度、会数・損益率・縮積度)を記した立成表があったが、底本では罫線のみで数値が失われている(□(底本欠字、罫のみで数値なし))。ただし木星の一部の値のみ残存し、「十一 損一百五十一 盈一度(五十一)」「十一 損二百一十六 縮二度(一十六)」との記載がある。
- 続いて、五星天正冬至後諸変中積中星、諸変入暦、諸変盈縮定差、諸変定積、諸変が何月何日・何気に入るか、諸変定星、諸変初日晨前夜半定星、諸変日度率・平行分・総差、諸段初末日行分、毎日晨前夜半星行宿次、五星定合日定星をそれぞれ求める算式が続く。木火土の三星については晨見夕伏定日、金水の二星については夕見晨伏定日・晨見夕伏定日を、それぞれ盈縮差・初日行分・伏見度をもとに求める算式が示される。
崇天暦の改訂(増補分の数値)
- 崇天暦が完成し来年の甲子歳から用いられることになったが、その年五月丁亥朔の日食が予測どおり起こらなかった(算では食二分半としたが実際は候測しても食は起こらなかった)。詔により検証させ、七年(1030年前後)に入内都知の江徳明に命じて暦官を集め渾儀で較測させたところ、周琮が「古の造暦は必ず千百年間の星度・交食が縄準に応じるようにするものであり、今、暦が成っても験(あた)らないのでは暦法が未だ精密でないことになる」と述べた。また楊皥・于淵という者がおり琮とともに較験を求めたところ、皥の術は木星について、淵の術は金星について、琮の術は月について、それぞれ優れていたため、詔によりこれらを崇天暦に増入することとなり、改めた率数は次のとおりである。
- 周天分三百八十六萬八千六十六秒一十七。周天三百六十五度(虚分二千七百一十六秒一、約分二十五秒六十一)。歳差一百二十六秒一十七。
- 木星の会数・損益率・盈積度:初=益一百五十・盈空。一=益一百三十六・盈一度五十。二=益一百一十六・盈二度八十六。三=益八十七・盈四度二。四=益五十一・盈四度八十九。五=益二十・盈五度四十。六=損三十六・盈五度六十。七=損六十・盈五度二十四。八=損八十八・盈四度六十四。九=損一百十七・盈三度七十六。十=損一百二十八・盈二度六十六。十一=損一百三十八・盈一度三十八。
- 諸変総差を求める算式(平行分と後段平行分の差から汎差を求め、前段の汎差と合わせて四因し退一等して総差とする等)が改めて示され、五星定合及び見伏の汎用積、定合定積定星、木火土星の晨見夕伏定用積、金水二星の夕見晨伏定用積・晨見夕伏定用積をそれぞれ求める算式が続く。
- 景祐元年(1034年)七月、日官の張奎が「今後、月朔がたまたま節気の初日にあたっても避ける必要はない」と言上し、詔により中書が暦官を集めて参議させたが、丁慎言は旧制どおりとするよう請うた。詔は結局、張奎の議に従うこととなった。