宋史巻二十九 本紀第二十九 髙宗六

紹興八年(1138年)

  • 春正月戊子朔、帝は建康にあり丙申、臨安府の夏税折輸銭を減じる。戊戌、張守を罷める。辛丑、偽斉知夀州宋超が兵民を率い来帰。蔡州提轄白安時が金将兀魯を殺しその守劉永夀を執えて降る。方に和好を議していることにより沿海州郡が人を遣わし淮を過ぎて招納することを禁じる詔。丁未、大閲し張俊軍を閲する。戊申、兵部侍郎胡世将を四川安撫制置使とする。2月戊午、劉錡が入見。建康府の夏税折輸銭を減じ民戸の逋租和市科調を蠲免。庚申、日中に黒子があり呂頥浩を江東安撫制置大使兼行宮留守とする。壬戌、岳飛が兵の増加を乞うが許されず。癸亥、帝は建康を発つ。丙寅、胡安国の春秋伝が成書したことにより寳文閣直学士を進める。戊寅、帝は臨安に至る。己夘、戸部尚書章誼を江東安撫制置大使兼行宮留守、呂頥浩を醴泉観使とする。甲申、紹興府の和市絹万匹を減じる。3月巳丑、知南外宗正事仲儡に濮王を嗣がせる。庚寅、礼部尚書劉大中を参知政事、兵部尚書王庶を樞密副使とする。壬辰、再び秦檜を尚書右僕射同中書門下平章事兼樞密使とする。甲午、陳与義を罷める。戊戌、夔州路路分都監1員を増し関隘を脩治し義兵を練らせる。已亥、農器及び牛税を蠲免。李天祚を静海軍節度使交阯郡王とする。壬寅、故相韓忠彦を徽宗廟廷に配享することを定める。丁未、所過州県の民の積欠税賦を蠲免。戊申、江西湖南諸州の月椿銭をそれぞれ万緡蠲免。已酉、川陝宣撫司の便宜授官で冒濫の甚だしい者を考覈し裁減させる詔。夏4月庚申、戸部和糴場を臨安に初めて置く。壬戌、王庶を江淮辺防の巡視に遣わす。丁丑、6路発運司を復置。癸未、三衙管軍が禁中に輪宿する詔。5月庚戌、鎮江府に横江軍1000人を募る詔。庚子、貧民が子を挙げることを禁じその不能育の者に銭を給し養わせる。壬寅、劉子羽を単州団練副使に貶し漳州安置。丁未、金国使烏陵思謀・石慶充が王倫らと偕に来る。戊申、資政殿学士葉夢得を江東安撫制置大使とする。已酉、王庶が淮南に至り張宗顔に兵7000で廬州に屯させ巨師古3000で太五州に屯させ韓世忠軍を分け泗州及び天長県に屯させることを檄す。6月壬戌、衍聖公孔玠に衢州田5頃を賜い先聖祠事を奉ぜさせる。癸亥、趙鼎が重修哲宗実録を上呈。壬申、礼部進士黄公度以下395人に及第出身を賜う。王庶が淮南から入見。乙亥、中護軍統制張宗顔に廬州を知させ劉錡に兵を率い鎮江府へ屯を移させる。丁丑、烏陵思謀・石慶充が入見。秋7月乙酉朔、再び王倫及び藍公佐を遣わし梓宮を奉迎させる。司馬光の曽孫伋を承務郎に補す。辛亥、彗星が東方に出た。8月戊午、日者に諸国に報聘し梓宮の還期を遣わし辺臣の未だ諭さぬことを慮り戎備を弛めることで衆心を疑わしめぬよう各州城に厳飭させ部曲に明告し事に臨んでは戒め捍禦を忘れることのないよう詔す。甲子、江東路の月椿銭1万3千余緡を蠲免。丁丑、彗星が滅す。監察御史李寀を遣わし江西を宣諭し盗賊を措置させる。冬10月丁巳、劉大中を罷める。甲戌、趙鼎を罷める。乙亥、日中に黒子があった。丁丑、金国使張通古・蕭哲が王倫と偕に来る。韓世忠が行在に奏事することを乞うが許されず。戊寅、樞密副使王庶が簽書和議文字を免じることを乞い累疏で求去するが許されず。11月甲申、翰林学士承㫖孫近を参知政事とする。丙戌、大理寺丞薛倞・朱斐を遣わし広南路の滞獄を決させる。戊戌、王倫が入見。已亥、再び倫を国信計議使とし中書舎人蘇符を副とするが符は疾を辞す。庚子、孫近に権同知樞密院事を兼ねさせる。辛丑、金国が使を遣わし境に入り朕を屈して和に就かせようとすることに詔して侍従台諫に詳思条奏させる。従官張燾・晏敦復・魏矼・曽開・李彌遜・尹焞・梁汝嘉・楼炤・蘇符・薛徽言・御史方廷実がみな不可と言う。甲辰、王庶を罷める。辛亥、樞密院編修官胡銓が上書し直諫して和議を斥けたことにより除名し昭州編管。壬子、広州都塩倉監に改差。12月甲寅、趙鼎を醴泉観使とする。乙夘、宗正少卿馮檝を国信計議副使とする。已未、吏部尚書李光を参知政事とする。戊辰、王倫が金使は詔諭江南と称するがその名は正しからずと言い、秦檜は未だ国書を見ずとしてこれを封册ではないかと疑うが、帝は「朕は祖宗の基業を嗣守しどうして金人の封册を受けようか」と言う。癸酉、館職胡珵・朱松・張擴・凌景夏・常明・范如圭が上書し極めて和議の不可を論ずる。甲戌、端明殿学士韓肖胄を簽書枢密院事とする。乙亥、肖胄らを金国奉表報謝使とする。丙子、張通古・蕭哲が行在に至り先に河南の地を帰しその後に余事を議さんと言う。監察御史施廷臣を侍御史とし権吏部尚書張燾・侍郎晏敦復が廷臣が和議を主張したことで升用されたとして執奏し行われず。御史中丞勾龍如淵・右諫議大夫李誼・殿中侍御史鄭剛中が凡そ再び都堂に至り国書を取るよう議す。丁丑、金国使来る際まず河南陝西の故地をことごとく割いて我と通好すること、梓宮及び母兄親族を還すこと、余に需索なきことを詔し尚書省に令して榜諭させる。庚辰、帝は殿に御さず、まさに諒陰にあり吉礼を行い難きとし秦檜に冡宰を摂させ書を受けて進めさせる。この月、虚恨蛮が嘉州忠鎮砦を犯す。この歳、初めて杭に都を定める。

紹興九年(1139年)

  • 春正月壬午朔、帝は臨安にあり丙戌、金国通和により大赦し河南新復州軍の官吏をすべて易置せず、その民の租税を3年、徭役を5年蠲免。王倫を同簽書枢密院事とし奉護梓宮迎請皇太后交割地界使を充てさせる。戊子、判大宗正事士㒟・兵部侍郎張燾を遣わし河南の陵寝を修奉。庚寅、劉光世に和衆輔国功臣、張俊に少傅安民靖難功臣を加え韓世忠を少師とし張浚を左宣奉大夫に復す。辛卯、尹焞を徽猷閣待制提挙萬夀観兼侍読とするが焞は力辞して拝せず。壬辰、岳飛・呉玠に開府儀同三司、楊沂中に太尉を加える。癸已、皇太后宮を建てる。甲午、金の宿州守臣趙栄が来帰。丙申、金主が河南諸州へ割地帰宋の意を詔諭し、発運経制司を経制司と改め戸部長貳1人に使を領させ副あるいは判官を置く。戊戌、王倫を東京留守、郭仲荀を副、戸部侍郎梁汝嘉に江淮荆浙閩広路経制使を兼ねさせ司農卿霍蠡を判官とする。巳亥、呉玠を四川宣撫使とする。2月癸丑、徽猷閣待制周聿を陝西宣諭使、監察御史方廷実を三京淮北宣諭使とする。丁已、郭仲荀を太尉東京同留守とする。慕洧が環州を寇す。戊午、金州知事郭浩を陝西宣撫判官とする。壬戌、李綱を湖南路安撫大使とする。張浚は福州を知するが再び資政殿大学士に復し福建路安撫大使とする。周聿・方廷実に隠士を蒐訪させる。甲子、諸州県の月椿銭を均定。已巳、郭浩を陝西宣諭使とする。壬申、徽宗実録の修めを命じる。癸酉、盗賊が招安を経てまた嘯聚した場合は兵を発し誅を加え赦さぬ詔。この月、日中に黒子があり月余で没す。江西統制官李貴がその軍を率いて楊沂中に帰す。3月丁亥、和州防禦使璩を保大軍節度使に進め崇国公に封じる。丙申、王倫が金から地を受け東西南3京・夀春宿亳曹単州及び陝西京西の地を得る。兀朮は祁州に還る。已亥、河南を3路に分け拱州を廃す。辛丑、翰林学士楼炤を簽書枢密院事とする。甲辰、偽斉知開封府鄭億年が待罪を上表し行在赴きを召される。丁未、偽斉が改めた州県名を正す。この春、夏人が府州を陥す。夏4月庚戌朔、呂頥浩が薨ずる。辛亥、楼炤に陝西諸路を宣諭させる。壬午、鄜延路経畧使関師古が待罪を上表し延安府知事を命じる。癸丑、趙鼎の奉国軍節度使を落とし特進とし泉州知事を仍させる。金陝西諸路節制使張中孚が待罪を上表し検校少保寧国軍節度使知永興軍節制陝西諸路軍馬とする。甲子、観文殿学士孟庾を西京留守、資政殿学士路允迪を南京留守とする。丙寅、金秦鳳経略使張中彦が待罪を上表し渭州知事とする。孫近に権同知樞密院事を兼ねさせる。壬申、夀春府の治所を淮北の旧城へ移す。癸酉、新復諸路の監司帥臣に残民の官吏を按劾させる詔。韓世忠・張俊が入見。5月庚寅、東京欽先孝思殿の累朝御容を臨安へ奉迎。辛卯、江淮守臣に再び2年を任とすることを命じる。乙未、淮東提挙茶塩司を復置。癸夘、耆長法の召募を復す。丙午、鄜延副将李世輔が部兵3000を率い鳳翔から来帰し名を賜い顯忠とする。6月庚戌、皇后邢氏が五国城で崩ずる。辛亥、夏国主乾順が卒す。壬子、楼炤は東京の見卒4千4百人を忠鋭3将とする。庚申、盗が邵武軍に入る。壬戌、新復州県の官吏が懐いて自ら安んぜぬとして詔で開諭。已已、呉玠が薨ずる。壬申、楼炤は制を承け李顯忠を護国軍承宣使樞密行府前軍都統制とし部兵及び夏国招撫使王樞を率いて行在に赴かせる。癸酉、澧州軍事推官韓紃が上書し講和を非計と論じたことにより循州編管。乙亥、孟庾に東京留守を兼ねさせる。王倫は東京から金国へ議事に赴く。楼炤は制を承け楊政を熙河経略使、呉璘を秦鳳経略使としともに四川宣撫司の節制を聴かせ郭浩を鄜延経略使とし同じく陝西軍馬を節制させる。丙子、宣撫司兵4万人を分け熙秦へ出屯させ6千人を郭浩に隷させ呉玠の精兵2万人を留めて興元府興洋2州に屯させる。戊寅、永興軍に銭引務を置く。この月、撫州鈐轄伍俊が桃源に拠ろうと謀りまた叛す。湖北安撫薛弼が召してこれを誅す。秋7月甲申、新復諸県令に文臣を用いる。丙戌、東京耆老李茂松・寇璋ら200人が上表し賀を称し引見してみな官を補し還す。都水南北丞をそれぞれ1員復置。丁亥、金人が王倫を中山に拘留。丙申、劉豫の偽官の告身を換給することを詳験させる。乙巳、偽斉に没した民間の資産を還す。胡世将に四川宣撫司を権兼主管させる。8月已酉、淮南諸州の学官を復す。庚戌、陝西諸軍に冬衣絹15万匹を賜い前の川陝宣撫司の便宜補官の者に1年以内に自陳し告身を換給させる。丙辰、金国が撻懶が和を主張し割地することでその2心を疑いこれを殺す。壬戌、成都潼川路の歳輸対糴等米54万石・水運銭79万緡を蠲免。乙丑、新法の度牒紫衣師号銭200万緡を給し陝西の軍儲市に付す。已巳、陝西に鉄銭を再び行わせる。庚午、蘇符らを遣わし金へ正旦を賀す。乙亥、前知宿州趙栄・知夀州王威をともに金国へ還す。以関師古を行営中護軍前軍統制とする。9月已卯、鄜延秦鳳熙河路に蕃部熟戸及び陥没した夏国軍民を招納させる。丙戌、叔士㒟を斉安郡王に封じる。庚寅、経制司を罷め提刑に常平事を兼領させる。甲午、皇太后殿を慈寧と名づける。丙申、威州防禦使溫濟が韓世忠の陰事を告げたことで勒停南建州編管とするが世忠はまたこれを殺すことを望むと奏したため万安軍へ移す。已亥、郭仲荀が東京兵5000を率い鎮江に至る。冬10月辛亥、侍従官にそれぞれ知る所2人を挙げさせる詔。王倫が金主に御林で見える途中で河間に拘留され副の藍公佐を先に還す。甲寅、王樞が入見しその俘170人あわせて縦遣させる。夏国に還す。已未、階成岷鳳4州の民税の半分を蠲免。戊辰、慈寧宮が成る。甲戌、日中に黒子があった。丙子、李顯忠に軍銭10万緡を賜う。この月、岳飛が入見。11月戊寅朔、呉玠家に銭3万緡を賜いその弟璘を龍神衛四廂都指揮使とする。刑部大理官に刑名断例を続編させる。癸未、嗣濮王仲儡が薨ず。已丑、三省官属に在京通用令を詳覆させる詔。張所の直龍図閣を復す。12月甲寅、続けて紹興因革礼を編する。甲子、李光を罷める。戊辰、続けて元豊会要を修することを命じる。兀朮は蘇符らを東京に留め河南を再取ることを謀る。

紹興十年(1140年)

  • 春正月丙戌、莫将らを迎護梓宮奉迎両宮使に遣わす。辛夘、李綱が薨ずる。甲辰、顯謨閣直学士提挙醴泉観の鄭億年を資政殿学士に復し奉朝請とする。2月戊申、陝西に蕃漢弓箭手を再び募る詔。贓吏の罪が死に抵り情犯甚だしい者は奏取旨させる。辛亥、雨雹あり劉錡を東京副留守、李顯忠を南京副留守とする。壬子、両宗正官にそれぞれ知る所の宗室2人を挙げさせる詔。癸丑、省試の期を1年延ばす。壬戌、新復州軍に隠逸を蒐挙させ諸路に屯田を経理させる詔。丁夘、史館を罷め日歴を秘書省に帰し監修国史官を置く。孟庾を知開封府として東京留守、仇悆を知河南府として西京留守とする。癸酉、吏部の宣和濫賞の審量を罷める。3月甲申、閼伯を商丘宣明王に封じる。戊子、銭引500万緡を増印し宣撫司に付し軍儲を市う。川陝宣撫副使胡世将は屡々金人がまさに盟を渝るべしと言い宜しく備えるべしとする。已丑、諸路の増置税場を罷める。韓世忠・張俊が入見し始めて内教を罷め復して建康行宮を営む。丙申、蘇符が東京から還る。丁酉、川陝宣撫司の軍事で待報に及ばぬものは随宜措置させる詔。已亥、郭浩を知永興軍兼節制陝西諸路軍馬、楊政を興元府知事に徙す。この月、胡世将は夏人と入貢を議するが夏人は応じず。夏4月丙午、亡逸の暦書及び星暦に精しい者を訪求。辛酉、張中孚を醴泉観使、中彦を祐聖観提挙、趙彬を兵部侍郎とする。癸亥、部使者に歳ごとに廉吏1人を挙げさせる詔。庚午、四川諸州の学官を復す。壬申、韓肖胄を罷める。5月已夘、金人が盟を叛し兀朮ら4道に分けて来攻。甲申、徽宗御制の閣を敷文と名づける。乙酉、兀朮が東京に入り留守孟庾は城をもって降り知興仁府李師雄・知淮寧府李正民及び河南諸州も相継いで降る。丙戌、金人が拱州を陥し守臣王慥が死す。撒离曷は河中から永興軍に趣き陝西州県官はみな降る。丁亥、金人が南京を陥し留守路允迪が降り劉錡が兵を率い順昌府に至る。已丑、金人が西京を陥し留守李利用・副総管孫暉はみな城を棄てて走り鈐轄李興は兵を率い拒戦するが克てず。辛夘、胡世将は河池から涇原経畧使田晟に兵3000で迎撃させる。金人の京湖宣撫司忠義統領李寳が金軍を興仁府境上で破る。癸巳、亳州知事王彦先が叛し金に降る。金人が永興軍を陥し鳳翔へ趣く。丁酉、胡世将に陝西の石護軍を蜀口へ移屯させる。福建広東で盗が起こったことにより両路監司に境を出て共に討たせる。已亥、劉光世を三京招撫処置使とし劉錡を援けさせる。庚子、呉璘を陝西諸路軍馬同節制とし胡世将の便宜黜陟処置軍事を聴かせる。辛丑、金人が鳳翔府の石壁砦を犯すが呉璘は統制姚仲らを遣わしこれを拒却。金人が耀州を囲むが郭浩は兵を遣わし救い金兵は解け去る。壬寅、金人が順昌府を囲み3路都統葛王襃が大軍で継至するが劉錡は力戦しこれを破る。6月甲辰朔、韓世忠を太保、張俊を少師、岳飛を少保としみな河南北諸路招討使を兼ねさせる。乙巳、劉錡は将閻充を遣わし金軍を順昌の李村で戦い破る。丙午、両浙江東福建諸州に弓弩手を団結させ仇悆を沿海制置使とする。将佐士卒で竒功を立てた者に使相の節鉞・官告臨軍給受を賞する詔。丁未、建康府行宮の営繕を罷める。戊申、劉錡を沿海制置使とする。已酉、呉璘は統制李師顔らを遣わし金軍を扶風で破りこれを抜く。壬子、兀朮及び宋の叛将孔彦舟・酈瓊・趙栄らが衆10余万を率い順昌府を攻めるが劉錡は将士とともに殊死に戦い大破。当初秦檜は錡に利を択び班師させることを奏したが錡は詔を奉ぜず戦益々力め遂に寡をもって衆に勝った。乙夘、順昌の囲みが解け兀朮は還り知平江府梁汝嘉に浙西沿海制置使を兼ねさせる。丙辰、岳飛の将牛臯が金軍と京西で戦い破る。已未、劉光世が和州に進軍し郭浩は統制鄭建充を遣わし醴州で金軍を撃破しその城を復す。壬戌、諸司の銭物は経費を量り留める外みな発して軍を贍させる詔。楼炤は父の喪により去位。甲子、撒离曷が青谿嶺を攻めるが鄜延経略使王彦が兵を率いこれを撃破し撒离曷は鳳翔へ還屯。士㒟に濮王祠事を主奉させる。張俊は左護軍都統制王徳を遣わし劉錡を援けるが徳が順昌に暫く至るとすでに囲みが解けまた廬州へ還り司農少卿李若虛を岳飛の軍に遣わし班師の旨を諭すが飛は聴かず。丙寅、順昌府の官吏兵民を撫諭する詔を下す。庚午、劉錡を武㤗軍節度使侍衛馬軍都虞候とする。韓世忠は統制王勝・背嵬将成閔を遣わし兵を率い淮陽軍南に至り金軍と遇いこれを撃破。この月、金軍が慶陽府を囲むが権守臣宋万年が固守し金軍は下せず。岳飛は兵を率い劉錡を援け金軍と蔡州で戦いこれを破り蔡州を復す。閏月癸酉朔、張俊は統制宋超を遣わし金軍を永城県朱家村で破る。甲戌、孟庾・路允廸の官を追いその家属を遠郡へ徙す。丙子、三衙管軍及び観察使以上にそれぞれ智略勇猛で将帥に堪える者2人を挙げさせる詔。金軍が涇州を犯すが守臣曲汲は城を棄てて去り経略使田晟が兵を率いて救援すると金軍は敗走。甲申、晟はまた金軍と涇州で再戦しこれを破る。金軍は鳳翔へ引き帰る。乙酉、陝西の雑犯死罪釈流以下の囚を降す。丙戌、胡世将を端眀殿学士、呉璘を鎮西節度使、楊政を武当節度使、郭浩を奉国節度使とし王徳は金軍を宿州で夜襲し破りその守馬秦を降す。丁亥、順昌府の流以下の囚を釈し2年の租税を再免し守禦官吏の官を1等進める詔。巳丑、永興軍鈐轄傅忠信らが金軍と華陰県で戦い破る。壬辰、岳飛は統制張憲を遣わし金将韓常を潁昌府で撃破し潁昌を復す。丙申、張憲が淮寧府を復す。丁酉、趙鼎を興化軍居住に分司。岳飛は統制郝晸らを遣わし金軍と鄭州北で戦い鄭州を復す。李興が汝州を復し金軍と河清県で戦い破り伊陽等8県を復し李成は逃げ去る。韓世忠は統制王勝・王権を遣わし海州を攻め克しその守王山を執える。戊戌、張俊は統制宋紹らと王徳の兵を城父県で会合し酈瓊及び葛王襃は逃げ去りついに亳州を復す。已亥、金人が海州を救うが王権らが逆戦し破り懐2県を復す。庚子、張俊は亳州を棄て軍を引き夀春へ還る。趙鼎を再貶し漳州居住とし、また清遠軍節度副使潮州安置とする。秋7月癸夘、岳飛は将張応・韓清を遣わし西京に入り李興と会し永安軍を復す。丙午、御史中丞王次翁を参知政事とする。巳酉、岳飛は兀朮と郾城県で戦い破る。庚戌、海州を曲赦。永興軍統領辛鎮が金軍と長安城下で戦い破る。癸丑、楊沂中を淮北宣撫副使、劉錡を判官とする。甲寅、岳飛は統制楊再興・王蘭らを遣わし金軍を小商橋で撃つがみな戦死。乙夘、金軍が潁昌を攻めるが岳飛は将王貴・姚政を遣わし合兵し力戦しこれを破る。壬戌、飛は累奉の詔で班師しついに郾城から軍を還すと金軍が追いこれに追いつき潁昌蔡鄭諸州はみな金の有に復す。甲子、釈奠文宣王を大祀とする。乙丑、州県の頭子銭の増収を激賞費とする。金軍が淮寧府を囲むが趙秉淵は城を棄て南帰。辛未、金軍が盩厔県を犯すが王俊が東洛谷で逆戦し却ける。8月壬申朔、張九成・喩樗・鄭剛中・凌景夏・樊光遠・毛叔度・元盥ら7人が和議を主張しなかったとしてみな降黜。乙亥、韓世忠が淮陽軍を囲むが克てず。庚辰、金軍と酈瓊が合兵し千秋湖陵に駐まるが韓世忠は統制劉宝らを遣わし夜襲でこれを破る。壬午、李成が西京を犯すが李興がこれを撃退。楊沂中の軍が宿州にある。丙戌、郭浩を夔州知事とする。丁亥、楊沂中が宿州から柳子鎮を夜襲するが軍は潰え遂に夀春府から淮を渡り帰る。金軍は宿州を屠る。甲午、川陝宣撫司統領王喜らが汧陽県で金軍と遇い破る。9月壬寅朔、起居舎人李易を遣わし韓世忠に罷兵を諭す、時に秦檜は専ら和議を主とし諸大帥はみな鎮へ還る。丁未、楊政は統制楊従儀を遣わし金軍を鳳翔府で夜襲し破る。戊申、金軍が再び西京に入り李興は城を棄てて去る。庚戌、天地を明堂に合祀し大赦。辛酉、臨安で火災。戊辰、郭浩を知金州とし陝西河東軍馬を節制させ河東忠義軍の措置を兼ねる。この秋、代州知事王忠植が兵を挙げ石代等11州を復す。冬10月癸酉、張浚の観文殿大学士を復す。甲戌、王忠植を建寧軍承宣使河東路経略安撫使とする。戊寅、秦檜が重修紹興在京通用敕令格式を上呈。庚辰、金軍が慶陽府を犯し守臣宋万年は城をもって降る。辛夘、金軍が陝州を犯すが呉琦が兵を率い迎撃しこれを破る。庚子、金軍が洮州を襲い鉄城堡を攻めるが統制孔文清・惠逄がこれを撃破。この月、劉錡が入見。胡世将は王忠植に慶陽の救援を命じるが叛将趙惟清がこれを執え金に降らせ忠植は屈せず死す。11月丁未、金将合喜が再び陝州を犯すが呉琦がこれを撃却。また宝鶏県を犯すが統制楊従儀がこれを破る。壬子、令懬を保寧軍節度使とする。この月、宜章洞民駱科が叛し桂陽郴道連賀諸州を犯すが大兵で討たせる。12月壬午、皇太后の册宝を慈寧殿に上る。丁亥、王忠植に奉国軍節度使を贈り義節と諡す。辛夘、諸路の耆長役銭を起こし総制司に隷し専ら軍用に給する。この月、楊沂中が兵を率い行在に還る。

紹興十一年(1141年)

  • 春正月癸夘、鳳翔統制楊従儀が金軍を渭南で破る。庚戌、張浚が入見。乙夘、金軍が夀春府を犯すが守臣孫暉・統制雷仲が合兵で拒む。丁巳、夀春が陥り暉・仲は城を棄てて去る。已未、劉錡が太平州から兵2万を率い淮西を援ける。庚申、金軍が淮を渡る。辛酉、雨雹。乙丑、劉錡が廬州に至りまた還る。丙寅、兀朮が廬州を陥す。戍辰、金軍が商州を陥し守臣邵隆は城を棄てて去る。已已、楊沂中に淮西へ兵を率い赴かせ岳飛は江州に進兵。2月癸酉、張俊は王徳を遣わし江を渡り和州に屯させる。金軍が退き昭関に屯する。邵隆が金軍を洪門で破り南商を復す。乙亥、金軍が再び和州を争いに来るが張俊はこれを破り韓世忠に兵で淮西を援けさせる。丙子、岳飛に蘄黄で会兵を促す。王徳らが金軍を含山県の東で破る。已卯、統制関師古・李横が金軍を巣県で撃破しこれを復す。庚辰、岳飛が鄂州を発つ。辛巳、㤗州知事王㬇に通㤗2州制置使を兼ねさせる。癸未、王徳・田師中らが金軍を撃破し含山県を復し昭関を奪う。劉錡は東関から金軍を青谿で撃破。甲申、金軍が再び昭関を犯すが王徳らがまたこれを破る。李顯忠は統領崔臯を遣わし金軍を舒城県で撃破。丁亥、楊沂中・劉錡らが兀朮の軍を柘臯で大敗させる。已丑、兀朮が親ら兵を率い店歩で逆戦するが沂中らがまたこれを破り勝ちに乗じ北を逐い遂に廬州を復す。この月、䖍吉州の盗賊は悉く平定。3月庚子朔、張俊が田を鬻ぎ度牒を売った銭63万緡を進め軍用を助ける。壬寅、韓世忠が兵を率い夀春へ趣く。癸夘、張俊の特進を復す。金軍が濠州を囲む。岳飛が舒州を発つ。甲辰、張俊・楊沂中・劉錡が班師を議す。乙巳、沂中・錡が先行し俊は軽兵で後に留まる。丙午、淮西の雑犯死罪以下の囚を釈す詔。丁未、金軍が濠州を陥し守臣王進を執えその城を夷げ鈐轄邵青が死す。戊申、張俊は楊沂中・王徳を遣わし濠州に入るが金の伏兵に遇い敗れて還る。已酉、韓世忠が濠州に至るが不利で退く。辛亥、岳飛は定遠県に次り金兵が退いたと聞き舒州へ屯を還す。楊沂中は行在へ帰る。壬子、金軍が淮を渡り北へ帰る。癸丑、張浚が建康府へ帰る。丁巳、劉錡が太平州へ帰る。甲子、行営統制張彦が金軍と汧陽の劉坊砦で遇い第8将張宏が戦没。夏4月丙子、免行銭を再び収める。已卯、孫近を罷める。辛巳、王次翁に権同知樞密院事を兼ねさせる。韓世忠・張浚・岳飛が相継いで入覲。壬辰、世忠・俊をともに樞密使、飛を樞密副使とし三省樞密院官に再び分班奏事させる。乙未、張浚は所部兵を御前に隷させることを請い3宣撫司を罷め統制官を御前統制官と改めそれぞれ旧所に屯駐させる。丙申、広西経略使胡舜陟に広東湖南兵を節制させ駱科の趣討を命じる。慕洧が新泉砦を破りまた会州を攻めるが将官朱勇がこれを破る。5月辛丑、両淮江東西湖広京西3道総領軍馬銭糧官を置きあわせて御前軍馬文字の報発を掌らせる。癸夘、戦没した将士を賻恤。丁未、張俊・岳飛を楚州に遣わし辺防を巡視させる。劉光世を行在に召す。甲寅、樞密行府に司を鎮江に置き徧く巡歴し措置させる詔。庚申、楊沂中に検校少保開府儀同三司を加える。6月乙亥、剋敵弓を造り秦檜に特進尚書左僕射同中書門下平章事兼樞密使を加える。癸未、張俊・岳飛が楚州に至り俊は海州城を守るに足らずとしこれを毀し民を遷し韓世忠軍は鎮江へ還らせるがただ背嵬1軍は行在に赴かせる。甲申、知河南府李興が部兵を率い鄂州に至り興を左軍統制とする。乙丑、明州の僧王法恩らが謀反を企て誅に伏す。壬辰、劉光世を罷め萬夀観使とする。秋7月戊戌、秦檜が徽宗実録を上呈し修撰以下にそれぞれ1官を進める。庚子、翰林学士范同を参知政事とする。旱により膳を減じ祈祷し官を遣わし滞獄を決し繋囚を出す。丁未、秦檜に少保を加える。甲寅、劉錡の兵を罷め荆南府知事とする。乙夘、永興鳳翔秦隴等州県官の到任半年で磨勘を優奬し任満で1官遷らせる詔。已未、張俊に太傅を加える。癸亥、大雨あり、この月、張俊に鎮江へ再び措置軍務に赴かせ岳飛を行在に留める。8月戊辰、祚徳廟を臨安に立て韓厥を祀る。甲戌、岳飛を罷める。乙亥、諸王の後にそれぞれ年長者1人を推し祀事を権主させる。癸已、胡世将を起復。9月癸夘、軍器少監鮑琚を鄂州に遣わし宣撫司の銭穀を根括させる。鄂州前軍副統制王俊が副都統制張憲が襄陽を拠って変を為さんと謀っていると告発し張俊は憲を吏に属させこれを聞す。丁未、監司が贓吏を按せぬ罪に坐する。辛亥、呉璘が秦州を抜きその州将武誼が降る。壬子、璘は姚仲を率い金軍と丁劉圏で戦い破る。楊政は隴州を克し岐下の諸屯を破り郭浩は華州を復し陝州に入る。甲寅、建康で大火。丙申、劉光逺らを金国通問使に遣わし呉璘が金軍と剡家灣で戦い大破し遂に臘家城を囲む。癸亥、璘は臘家城から詔を受け班師し楊政・郭浩もみな軍を引き還る。乙丑、邵隆が虢州を復し郝晸が駱科を討ち禽えこれを斬る。冬10月丙寅朔、金軍が泗州を陥しついに楚州を陥す。丁夘、樞密都承旨鄭剛中に川陝を宣諭させる。戊辰、楊政が金軍と宝鶏県で戦い破り通検孛堇を禽える。乙亥、兀朮が劉光逺らを還す。戊寅、玉牒を修めるよう詔す。岳飛・張憲を大理獄に下し御史中丞何鑄・大理卿周三畏に鞫問させる。壬午、魏良臣・王公亮を金国禀議使に遣わす。乙酉、虚恨蛮主歴階が嘉州に詣り降る。癸巳、韓世忠を罷め醴泉観使とし福国公に封じる。この月、金軍が濠州を陥し邵隆が陝州を復す。11月巳亥、范同を罷める。李光を建寧軍節度副使に責降し滕州安置とする。辛丑、兀朮は審議使蕭毅・邢其瞻を遣わし魏良臣らと偕に来る。丁未、范同を分司筠州居住とし判大宗正事士㒟を罷め同知宗正事士撙に宗室の謁禁を申厳させる。已酉、雷。壬子、蕭毅らが入見し始めて和盟の議が定まる。乙夘、何鑄を簽書枢密院事とし金国報謝進誓表使を充てる。庚申、宰執及び議誓撰文官に天地宗廟社稷を告祭させる詔。辛酉、張浚を検校少傅崇信軍節度使萬夀観使とする。この月、金国と和議が成り立ち淮水中流を疆と画し唐鄧2州を割いて与え歳ごとに銀25万両・絹25万匹を奉り兵を休め民を息わせ各々境土を守ることを約す盟書を立てる。川陝宣撫司に兵を出し事を生じ叛亡を招納せぬよう詔す。駱科の余党歐幻四らが再び叛し桂陽藍山から平陽県を犯すが江西兵馬都監程師回を遣わし討平。12月丁夘、責降した徽猷閣待制劉洪道を濠州団練副使とし柳州安置。癸酉、尚書省に籍を置き諸路の滞獄を勾考させる。甲戌、川陝宣撫司の便宜行事を罷める。乙亥、兀朮は何鑄らを遣わし会寧で金主に見え陝西余地の割譲を趣し遂に周聿・莫将・鄭剛中に京西唐鄧陝西地界を分画させる。壬午、州県に3歳ごとに1度産業部籍を置き民の貲財田宅を定賦役に定めさせ受賕虧隠旧額を禁じる詔。丁亥、海舶を譏察する条法を立てる。癸巳、岳飛に大理寺で死を賜いその子雲及び張憲を市で斬り家属を広南へ徙し官属の于鵬らはそれぞれ罪を論ぜられた。