宋史巻三十 本紀第三十 髙宗七
紹興十二年(1142年)
- 春正月癸夘、樞密行府を罷める。庚申、孫近を分司漳州居住。2月丁丑、建国公瑗に検校少保を加え普安郡王に進封。已夘、楊沂中に存中の名を賜う。丙戌、諸州に学宮を修めさせる詔。辛夘、広南東西路の駱科が残擾した州県の今年租を蠲免。鎮江太平池州蕪湖で大火。癸已、金主が梓宮及び皇太后の帰還を許し何鑄らを還す。3月丙申、臨安府で火災。壬寅、普安郡王に第に就き朔望に朝させる詔。辛亥、士㒟がかつて岳飛を営護したことにより朋比に問われ建州居住に責む。丙辰、胡世将が卒す。夏4月甲子朔、孟忠厚を迎護梓宮礼儀使、王次翁を奉迎両宮礼儀使とする。丁夘、皇太后が梓宮とともに五国城を発つ。金は完顔宗賢・劉裪に梓宮を護送させ髙居安に皇太后を護送させる。庚午、礼部進士陳誠之以下254人に及第出身を賜う。戊寅、韋淵を平楽郡王に封じる。辛巳、皇后邢氏の崩の訃が初めて至る。甲申、臨安府学を太学に増修。5月甲午、鄭剛中を川陝宣撫副使とする。乙未、審詔逺らを遣わし金主の生辰を賀す。淮西京西陝西諸路に榷場を置く。丙午、慈寧殿を増築し度僧牒を停給。乙夘、教官法の試を復す。6月甲子、侍従台諫礼官に権に攢宮を奉ずる事を雑議させる。戊辰、万俟卨を攢宮按行使とする。辛未、王庶を嚮徳軍節度副使に責降し道州安置。壬午、金国が孟庾・李正民を帰す。甲申、呉璘を検校少師階成岷鳳4州経略使とする。秋7月壬辰朔、福州簽判胡銓が除名され新州編管。丁酉、皇后の諡を懿節とし神主を別廟に祔す。已亥、何鑄に権参知政事を兼ねさせる。巳酉、常行儀仗及び玉輅の造りを始める。乙夘、広南湖北沿邊州軍の免行銭を蠲免。8月辛酉朔、兀朮が使を遣わし商州及び和尚方山2原を求める。丙寅、何鑄を罷める。甲戌、万俟卨を参知政事とし金国報謝使を充てる。壬午、皇太后が至り慈寧宮に入居。巳丑、帝は緦服を着け徽宗及び顯肅懿節2后の梓宮を迎え龍徳別宮に奉安。この月、鄭剛中は陝西の地界を分画し商秦の半分を割いて金国に与え上津豐陽天水3県及び隴西成紀の余地を存し和尚方山2原を棄て大散関をもって界とする。9月乙未、孟忠厚を樞密使とし攢宮総護使を充てる。壬寅、大赦。乙已、秦檜に太師を加え魏国公に封じる。丙午、金使劉筈・完顔宗表ら9人が入見。戊申、王次翁らを金国報謝使とする。金国誓書を内侍省に蔵す。辛亥、張中孚に開府儀同三司、中彦に靖海軍節度使を加える。甲寅、偽福国長公主李善静を杖殺。金州の郭浩を金房開達4州経略安撫使とし楊愿を初めて金へ正旦を賀わせる。冬10月乙丑、初めて中外に楽を用いることを聴す。丙寅、徽宗皇帝及び顯肅皇后を会稽永固陵に権攢し懿節皇后を祔す。乙亥、翰林学士陳克俊を簽書枢密院事権参知政事とする。丁丑、皇太后の回鑾により推恩し秦檜を秦魏両国公に進封するが辞して拝せず。庚辰、何鑄が岳飛に党し和議を主張しなかったとして秘書少監徽州居住に責授。甲申、皇太后の生辰により慈寧宮で上寿。丁亥、福建路提挙茶司事を置く。11月癸巳、樞密使張浚を罷め清河郡王に進封。左司郎中李椿年を両淮転運副使とし専ら経界を治めさせる。乙未、楊存中に少保を加える。巳亥、貶謫人が私に行在に至ることを禁じる。庚子、崇政垂拱2殿を作る。辛丑、劉光世が薨ずる。壬寅、曽祖姑秦魯国大長公主が薨ずる。丙午、尹焞が卒す。庚戌、孟忠厚を罷める。左承事郎張戒が趙鼎・岳飛に党したことにより停官。辛亥、張中孚・中彦を金国へ還す。12月甲子、侍従監察御史巳上監司郡守にそれぞれ知る所の宗室を挙げさせる詔。丙寅、秦魯国大長公主の第に幸し臨奠する、また劉光世の第に幸し臨奠。庚午、太学弟子員を300人と額を定める。壬申、秦檜が6曺寺監の通用敕令格式を上呈。癸酉、李顯忠を保信軍節度使、御前選鋒軍統制王進を御前諸軍都統制とする。この歳、大辟24人を断す。
紹興十三年(1143年)
- 春正月戊戌、徽宗に体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顯孝皇帝の諡を加える。巳亥、親しく太廟に饗し册宝を上る。癸夘、国子監太学を増建。乙巳、再び進士に経義詩賦を兼試する。2月壬戌、初めて前殿に御し4参官の起居を特に引く。甲子、郊廟社稷の祭器を製する。乙丑、永固陵を永祐と改める。丙寅、韓世忠を咸安郡王に封じる。乙亥、雷化等10州の免行銭を蠲免。丙子、金象革木4輅を造る。庚辰、太学及び科挙試法を立てる。辛巳、秘書少監秦熺が建炎以来日歴を修め上呈。乙酉、景霊宮を建て累朝神御を奉安。3月巳亥、鹵簿儀仗を造る。乙已、社稷壇を建てる。丙午、圜丘を築く。淮南饑民を振い遏糴を禁じる。夏4月癸亥、郷飲酒儀を郡国に頒布。甲戌、獄吏の非法な訊囚の具を毀す。閏月巳丑、貴妃呉氏を皇后に立てる。戊申、史館に靖康建炎忠義録を編ませる。庚戌、楊政が入見し検校少保を加え田50頃を賜う。壬子、諸路の無名月椿銭を蠲免。乙夘、王次翁を罷める。5月甲子、張九成が趙鼎に党したことにより南安軍居住。壬申、国子博士正録を置く。乙亥、諸路に放生池を置かせる。丁丑、天申節に初めて上夀し宴を錫うこと故事のごとし。6月壬戌、3衙及び諸軍が市易月増の将官供給銭を禁じ差にして与える。壬寅、程克俊を罷め万俟卨に権簽書枢密院事を兼ねさせる。戊申、諸路提刑に歳ごとに部内の廉明平恕な獄官を挙げさせる詔。庚戌、金は洪皓・張邵・朱弁を還す。秋7月甲子、遺書を求め捕賊補官格を罷める。丙寅、処州兵士楊興らが乱を謀るが事覚れ誅に伏す。戊辰、諸州に銅作務を置く。壬申、雨雹あり浙西貧民の逋負した丁塩銭を蠲免。8月丙戌、吏部侍郎江邈を遣わし累朝神御を温州から奉迎。丁亥、諸路に出身のある監司1員に学事を提挙させる。戊戌、洪皓が金国から至り入見。已亥、鄭朴らを金に遣わし正旦を賀し王師心らに金主の生辰を賀わせる。鄭剛中が黄金万両を献じる。辛丑、昌化萬安吉陽軍を廃す。知階州田晟がその部3000人を率い行在に赴く。丁未、晟に侍衛馬軍司公事を主管させその衆をこれに隷させる。已酉、錢愐に太尉を加える。庚戌、監司守臣に恤民事宜を条求させる詔。9月丁巳、宗室子偁が秀州で卒す。甲子、洪皓が饒州知事へ出す。戊辰、諸路に敦宗院を置く。巳巳、淮東京西監司に歳終に州県の増戸口を守令の殿最とさせる詔。庚午、兵部侍郎司馬朴が死節したことにより兵部尚書を贈りその家に銀絹を賜う。癸酉、諸州守貳に学事を提挙し県令佐に学事を主管させる詔。戊寅、淮南の逋欠坊場銭及び上供帛を蠲免。冬10月巳丑、秦檜が監学敕令格式を上呈。庚寅、渾天儀を製する。乙未、累朝帝后の神御を景霊宮に奉安。11月庚申、日南至により天地を圜丘に合祀し太祖太宗を配し大赦。12月癸未朔、日食があったが雲陰で見えず。辛夘、私鋳毛銭を毀す。癸巳、秘書省を建てる。丁酉、太学弟子員を200人増す。巳亥、郭浩が入見。丁未、行在の宗子を宮学に入れる。巳酉、金は完顔曄らを遣わし明年正旦を賀わせる。この月、来嵗の暦を諸路の監司守臣に始めて頒布。この歳、関外は始めて甲を行った。
紹興十四年(1144年)
- 春正月丁已、羅汝楫らを遣わし金国へ報謝。甲子、臨安府で火災。戊寅、普安郡王に子偁の解官持服を命じる。2月丁亥、靖州に新民学を復置。癸巳、江浙諸路の逋欠銭帛を蠲免。戊戌、四川都転運司に歳ごとに総制司銭173万緡を撥し紬絹綿を市い鄂州総領所へ輸させることを初めて命じる。丙午、万俟卨を罷め宗学生額を100員と定める。已酉、資政殿学士楼炤を簽書枢密院事兼権参知政事、郭浩に検校少保を加える。3月乙夘、江浙京湖の積欠上供銭米を蠲免。丁夘、金太祖の嫌名を避け岷州を西和州と改める。川陝宣撫司を四川宣撫司とする。巳巳、太学に幸し汀漳泉建4州の経賊が民戸を残蹂したことによる賦役を1年蠲免。壬申、解潜が趙鼎に党したことにより濠州団練副使に責授し南安軍安置。已夘、賢良を挙げるよう詔す。夏4月甲申、刑部及び監司に滞訟を決絶させる詔す。丁亥、初めて野史を禁ずる。䖍州民が屋の朽柱を裂くとその中に「天下太平年」の文字があった。甲午、金人が来て淮北人でなお南にいる者を求め願う者は還すことを聴す詔す。馬軍司統領張守忠を遣わし海賊朱眀を討たせる。5月丙辰、階成西和鳳4州に兵を募り行在に赴かせる詔。甲子、楼炤を罷める。乙丑、御史中丞李文㑹を簽書枢密院事兼権参知政事とする。丙寅、婺州で大水。巳巳、金が初めて烏延和らを遣わし天申節を賀う。辛未、楚州鹽城県で海水が清んだ。この月、厳信衢建4州で水害。6月甲申、江浙州県の酒税坊場綱運倉庫の積年逋負を蠲免。孫近を再び3官を奪い南安軍居住に移す。丁亥、髙世則に少保を加える。戊子、安南国が入貢。癸巳、宣州涇県の妖賊俞一が乱を作すが守臣がこれを捕滅。乙未、江浙福建の水害の民を振う。丙申、内侍白鄂が誹謗の罪及びその客張伯綸ともに黥配吉陽軍とし子偁に太子少師を特贈し官が葬事を給する。庚子、万俟卨の3官を奪い帰州居住とする。乙巳、国子監小学を置く。秋7月戊午、金人が王倫を河間府で殺す。丙寅、明法科兼経法を立てる。丙子、秘書省に幸す。8月癸未、撫州が瑞禾を献じる。庚寅、李椿年を権戸部侍郎とし経界を治めさせる。乙未、林保を金に遣わし正旦を賀し宋之才に金主の生辰を賀わせる。9月辛酉、利州を東西路に分け呉璘を利州西路安撫使、楊政を利州東路安撫使とする。甲子、郡守が終更で入見する際にその部の県令1人をそれぞれ挙げさせる詔。壬申、趙鼎を吉陽軍安置に移す。癸酉、臨安府に蔡京子孫を索させ貶所に逮赴させ遇赦しても永く量移せずとする。冬10月甲午、右政言何若の言に従い内外師儒の官を戒め伊川程氏の学を黜する。乙未、韋淵に少師を加える。巳亥、永道郴3州桂陽監及び茶陵県の民に子を挙げぬ者が多いことによりその身丁銭絹米麦を蠲免。11月甲子、内教を復し禁中に即いて3衙将士を閲試する。癸酉、李光を瓊州安置に移す。乙亥、朱勝非が薨ずる。12月丁丑朔、潼川府路転運判官宋蒼舒が嘉禾1莖9穂を献じる。巳夘、諸郡に老疾貧乏の民を収飬させ漏澤園を復置し葬る所のない死者を葬らせる。丁酉、李文㑹を罷めまもなく筠州居住に責める。庚子、御史中丞楊愿を簽書枢密院事兼権参知政事とする。癸夘、金は孛散温らを遣わし明年正旦を賀う。この月、汀の賊華齊が漳州長泰県を寇するが安撫司は兵を遣わし討ちこれに敗れ将佐趙成らが死す。この歳、四川宣撫司が初めて民戸から稱提銭を取り歳ごとに40万緡で軍費に備えた。
紹興十五年(1145年)
- 春正月丁未朔、大慶殿に御して初めて大朝会の礼を行う。戊申、瀘南安撫使馮楫が嘉禾を献じる。巳未、経義詩賦を2科に分け士を取る。辛酉、初めて籍田を置く。丁夘、成都府路対糴米の3分の1及び宣撫司激賞銭30万緡を減じる。戊辰、戸部侍郎王鉄に両浙経界を措置させる。辛未、僧道に初めて免丁銭を納めさせる。2月戊寅、太学弟子員を100人増す。乙未、州県の科折の数は第3等戸から均配せぬよう詔す。已亥、崇国公璩を恩平郡王に封じ第に就かせる。3月甲子、敷文閣待制周襟・馬官国史愿・諸将程師回・馬欽・白常をみな金国へ還す。夏4月丙子朔、秦檜に第1区を賜う。戊寅、彗星が東方に出た。癸未、殿を避け膳を減じ監司郡守に便民事宜を条上させ提刑に決獄を廵行させる。礼部進士劉章以下300人に及第出身を賜う。丁亥、彗星の出現により大赦。癸巳、彗星が消える。甲午、後軍統制張淵を遣わし福建の盗賊を討捕させる。庚子、四川都転運司を罷める。5月丙辰、客星が見えた。戊午、貧民の産子に義倉米1斛を賜う命。甲子、金は完顔宗尹らを遣わし天申節を賀う。6月乙亥朔、日食があった。丁丑、秦檜の第に幸す。乙酉、檜の妻婦子孫に官封を加える。丁亥、客星が消えた。秋7月戊申、利州鑄銭監を復置。戊午、監司に県令の治状の顕著な者及び老懦不職の者を審察させ黜陟に上奏させる。廬光2州の上供銭米を1年蠲免。丁夘、汀漳2州の秋税及び処州3県の被水民家の紬絹・鄂州舊額絹を1年免ずる。巳巳、四川転運司の積貸常平銭13万緡を蠲免。8月甲戌朔、収折帛令の零銭は実数のみ輸させることを禁じる。乙亥、京西路の請佃田租及び州県場務税銭を2年蠲免。巳亥、諸路提挙茶塩官を提挙常平茶塩公事と改め川広は憲臣に兼領させる。辛丑、再び太学弟子員を200人増す。9月辛酉、銭周林を金へ遣わし正旦を賀し厳抑に金主の生辰を賀わせる。冬10月乙亥、帝は「一徳格天」の閣を書し秦檜に賜いまた第に赴き宴を賜う。丙子、楊愿を罷める。癸未、樞密都承旨李若谷を簽書枢密院事兼権参知政事とする。武岡軍の徭人楊再興が降る。庚寅、翰林学士承㫖秦熺を資政殿学士提挙萬夀観兼侍読としその恩数を執政に視ならせ班次を右僕射に亜がせる。辛夘、夜に雷。癸已、安豊軍の上供銭米を2年蠲免。甲午、汪勃が折彦質・趙鼎に党したことにより柳州安置。庚子、四川宣撫司総領銭糧官を置く。辛丑、秦熺に簽書樞密の下に班せしめる命。11月甲辰、錢忱に少保を加え錢愐に開府儀同三司を加える。丙辰、郭浩が卒す。丙寅、秦檜に嵗賜公使銭万緡を全給する。閏月巳夘、明法新科を罷める。11月戊午、江陰軍市舶務を置く。甲子、右司員外郎李朝正に経界の措置を同じく命じる。丁夘、金は蒲察説らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興十六年(1146年)
- 春正月戊子、太学外舎生額を1000人に増す。壬辰、親しく先農を東郊に饗し籍田の礼を行い耒耜を執り9推す。郡県に詔告す。2月辛丑、金州豊陽県洋州乾祐県を割いて金人に与える。壬寅、諸路の淫祠を毀す。癸丑、秦檜の家廟を建てる。3月庚午朔、武学を建て弟子員100人を置く。辛夘、秦檜の家廟祭器を造る。乙未、太廟を増建。巳亥、淮東江東両浙湖北の州県に歳ごとに営田の賞罰格を較べ立てる。夏4月壬子、州県が民税及び和買銭を予借することを禁じる。戊午、選試武士の弓馬の去留格を定める。5月壬申、運河を濬い諸路漕臣に学事を兼提挙させる。癸未、太廟祏室を初めて作る。丙戌、景鐘を作る。丁亥、金は烏古論海らを遣わし天申節を賀う。6月安南が馴象10を献じる。秋7月壬申、張浚が上疏し時事を論じたことにより節鉞を落とし連州居住。壬辰、秘書省に献書賞格を立てる。丙申、何鑄を端眀殿学士兼侍読に復す。8月辛丑、髙禖壇を築く。壬子、邊知白を遣わし金へ正旦を賀し周執羔に金主の生辰を賀わせる。9月甲戌、何鑄らを金国祈請使とし国族を請う。甲午、統制張淵・韓京らが福建広東の諸盗を討捕した功を賞しそれぞれ官を進める。冬10月戊戌、帝は新作の礼器を射殿で観て景鐘を撞き新楽を奏す。11月丙子、天地を圜丘に合祀し大赦し州県の新剏税場を罷める。癸未、御書院を復置。巳丑、潘正夫に少保を加える。12月戊戌、彗星が西南方に見え乙巳滅す。辛酉、金は盧彦倫らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興十七年(1147年)
- 春正月巳巳、諸路に中原流寓の士人を収試させる。巳夘、監司郡守が羨餘を進めることを禁じる。辛夘、挙人の多くが貫を冒すことにより州県に3歳ごとに鄉飲酒礼を行わせ士を貢させる。壬辰、李若谷を参知政事、御史中丞何若を簽書樞密院事とする。癸巳、秦熺を資政殿大学士に進める。2月乙巳、髙禖を親祀。辛酉、李若谷を罷める。3月乙亥、何若を罷める。巳夘、翰林学士段拂を参知政事とする。乙酉、秦檜を益国公に改封。戊子、張俊を静江寧武靖海軍節度使、韓世忠を鎮南武安寧国軍節度使に改命。李若谷の資政殿学士を落とし江州居住とする。夏4月丙申、諸路の免行銭3分の1を蠲免。巳亥、御史中丞汪勃を簽書樞密院事とする。巳未、趙鼎に遇赦してもなお検挙せぬことを詔す。前貶所潮州録事参軍石恮が鼎を厚遇したことにより除名し潯州編管。5月甲子、賢良を挙げるよう詔す。乙丑、雨雹。巳巳、洪皓を濠州団練副使に責め英州安置。辛巳、金は完顔卞らを遣わし天申節を賀う。6月乙夘、招安盗賊を禁じる。戊午、普安郡王瑗を常徳軍節度使、恩平郡王璩を武康軍節度使に改命。秋7月庚辰、鄭剛中を行在に召す。辛巳、太白が昼に見える。徽猷閣待制知成都府李璆に四川宣撫使を権らせる。癸未、李璆に四川財賦の総領を命じ参酌して四川の重歛を減らす。戊子、呉璘を御前諸軍都統制兼知興州とする。8月庚子、建州の剏置売塩坊を罷める。癸夘、趙鼎が吉陽軍で薨ず。戊申、沈該を金に遣わし正旦を賀し詹大方に金主の生辰を賀わせる。丁巳、諸路の羨餘銭を月椿の数に充てることにより邢孝に太尉を加える。9月巳巳、四川の科率虚額銭を歳285万緡減じる。癸酉、四川宣撫司の降賜庫米100万石を対糴の減に均てるよう詔す。乙亥、江南東西道諸州の月椿銭を蠲免。丙子、鄭剛中を罷める。丙戌、江浙諸州の折帛銭を減じる。冬10月辛夘朔、日食があった。癸夘、太一宮を建てる。丁未、太常に春秋2仲に攢宮を薦献させ季秋に御史を遣わし按視させる命。巳酉、楊存中を少傅に進める。巳未、臨安府に甘露が降る。11月丙寅、秦檜が重修免役敕令格式を上呈。丁夘、進士聞喜宴を復賜する。12月辛夘朔、諸州の擅な釈放流配及び官と辺防切要人事の関わる者の禁を命じる。甲寅、鄭剛中の職を落とし桂陽監居住とする。丙辰、金は完顔宗藩らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興十八年(1148年)
- 春正月巳巳、天竺寺に幸しついで玉津園に幸す。2月乙未、段拂を罷めまもなく職を落とし興国軍居住とし汪勃に権参知政事を兼ねさせる。辛亥、趙鼎の帰葬を聴す。3月丁丑、楊政・呉璘に関陝流民を招き殿前軍を補わせる。戊寅、汀州諸県の上供銀を罷め茶鉛本銭の半分を蠲免。庚辰、新太一宮に幸す。壬午、秦熺を知樞密院事とする。乙酉、民が私に淮を渡り叛亡を招納することを禁じる。夏4月戊子朔、日食があった。庚子、秦熺は父子共政を避けることを乞い観文殿学士提挙萬夀観兼侍読・提挙秘書省とする。壬寅、熺の恩礼を宰臣班次に視らせ右僕射に亜がせる命。甲辰、礼部進士王佐以下330人に及第出身を賜う。丙辰、士夽に開府儀同三司を加える。5月戊辰、呉益に太尉を加える。乙亥、奉使賞給を裁損する。丙子、金は蕭秉温らを遣わし天申節を賀う。癸未、李顯忠が故妻を金から私に取ったことにより平海軍承宣使に降し台州居住とする。甲申、四川宣撫司を罷め李璆を四川安撫制置使とする。この月、徽州で慶雲が見えた。6月甲辰、9宮貴神壇を東郊に築く。戊申、士民曹溥らが尊号を上るが許されず。この月、太府丞宋仲堪を遣わし江州に獄を置き鄭剛中の官銭欺隠を鞫問。福州侯官県に竹実が米のようなものがあり饑民がこれを採って食う。この夏、浙東西淮南江東で旱。8月丙申、汪勃を罷める。丁酉、工部尚書詹大方を簽書樞密院事兼権参知政事とする。州県の士民が飾詞で官吏の留任を求めることを禁じる。閏月庚申、江浙湖南の今嵗の和糴を免じる。甲子、臨安平江2府及び淮東西湖北3総領所に歳ごとに米120万石を糴し儲蓄に備えさせる命。壬申、王墨卿を金に遣わし正旦を賀し陳誠之に金主の生辰を賀わせる。甲申、辛道宗が官を降し房州羈管。乙酉、奉使3節人が境を出て博易することを禁じる。福建諸州の賊平定により剏招した奇兵を殿前司左翼軍とする。9月丙午、詹大方が薨ず。冬10月丙辰、御史中丞余堯弼を簽書樞密院事兼権参知政事とする。11月乙酉朔、感生帝を上祀に昇格。巳亥、胡銓を吉陽軍編管に移す。壬寅、鄭剛中を濠州団練副使に責め復州安置。戊申、四川買馬官吏が私に蛮馬を市うことを禁じる。辛亥、紹興府の饑を振う。12月乙夘朔、明越秀潤徽婺饒信諸州の流民を振う。丙寅、被災農民に春耕費を借給。丁夘、利路3都統に営田を措置させその租を対糴の減免に充てさせる命。戊辰、被災下戸の積欠租税を蠲免。庚辰、金は召守忠らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興十九年(1149年)
- 春正月甲申朔、皇太后の年70により帝は慈寕殿に詣り慶夀の礼を行う。甲午、国信所の回易北貨を罷める。癸夘、天竺寺に幸しついで玉津園に幸す。2月丁丑、湖北の溪洞で人祭鬼及び蠱毒を造ることを禁じ犯す者は保甲を同坐とする。3月癸未朔、日食があった。甲辰、鄭剛中を封州安置に移し子良嗣らも除名し編管とする。夏4月丁巳、孳生牧馬監の賞罰格を立てる。丙寅、秘閣修撰張邵が秦檜が金国で徽宗に代わり粘罕へ書いた書藁を上げ史館に付し邵を徽猷閣待制とする。戊寅、湖広江西路建康府ともに甘露が降る。5月壬午朔、汀漳泉3州の民田が賊に蹂躙されその2税を蠲免。戊戌、福建の羣盗平定を賞し選鋒軍統制劉宝を武泰軍承宣使とし余の将士は差にして官を遷す。庚子、金は唐括徳温らを遣わし天申節を賀う。丁未、連英循恵新恩6州の免行銭を減じる。6月丁巳、茶陵県丞王庭珪が胡銓を送る詩を作った罪により停官し辰州編管。戊午、秦檜が吏部続降7司通用法を上呈。秋7月壬寅、諸農書を郡邑に頒布。8月辛未、浙東諸州の強盗で配すべき者は沿海諸軍に充てさせる。9月戊申、秦檜像を絵かせ賛を作り賜う。冬10月巳未、湖南副総管辛永宗が停官し肇慶府編管。11月壬辰、天地を圜丘に合祀し大赦。辛丑、李椿年が経界の不均により罷める。丁未、州県の墾田増虧賞罰格を立てる。この月、蜡祭の復を命じる。12月丁巳、金の岐王亮がその主亶を弑して自立。已未、無子女戸で挙人太学生の独居者を解ぜしめ並びに役を免じる詔。已巳、四川制置司に歳ごとに扈衛300人を募り行在に赴かせる命。丁丑、金は完顔兗らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興二十年(1150年)
- 春正月丁亥、秦檜が入朝、殿前司軍士施全が道でこれを刺すが中らず。壬辰、全を市で磔す。癸夘、諸路転運司及び守臣に経界事を畢えるよう促す。丙午、両浙転運副使曹泳が李孟堅がその父李光の撰した私史を誦じ譏謗にわたることを言ったため大理寺に送る詔。2月戊申朔、守貳令尉の営田増虧賞罰格を立てる。庚戌、民の春月捕鳥獣を禁じ静江府昭州の上供折布銭の3分の1を蠲免。壬子、経界所の覆実官吏を罷める。庚申、海外4州及び瀘叙2州長寧軍の経界を免じる。3月庚辰、金は完顔思恭らを遣わし即位を報ずる。癸未、余堯弼を参知政事、給事中巫伋を簽書樞密院事とする。丙戌、堯弼らを遣わし金主の即位を賀わせる。戊子、秦熺を観文殿大学士萬夀観使とする。丙申、李孟堅の獄が具わり李光は遇赦しても永く検挙せずと詔し孟堅は除名し峽州編管、胡寅・程瑀・潘良貴・張燾ら8人が縁坐で黜降に差がある。戊戌、経界法の民を厲する所を改正させる詔。庚子、巫伋に権参知政事を兼ねさせる。壬寅、胡寅を果州団練副使に責め新州安置。夏4月壬子、没入した官田をすべて常平司に帰し民を募って佃種することを禁じる。癸酉、力田科を置き江浙福建の民を募って両淮の閒田を耕させる。この月、信州の妖賊黄曽らが乱を作し貴溪県を陥すが江西兵馬鈐轄李横らが討平。5月庚辰、諸軍に承接文字使臣を差し朝政を伺察することを申禁す。癸未、秦檜が中興聖統を上呈。甲午、金がまた完顔思恭らを遣わし天申節を賀う。6月癸亥、秦熺に少保を加え大理寺に前太常主簿呉元羙の譏謗獄を鞫させる詔。丙寅、民が経社を結集することを禁じる。この月、建州民張大一が乱を作す。秋7月丙子、招刺禁軍を罷める。庚寅、泉漳汀3州の経界を罷める。8月甲辰朔、量って張浚を永州、孫近を䖍州、万俟卨を沅州、李若谷を饒州、李文㑹を江州、段拂を南康軍に移し居住させる。雷州守臣王趯が趙鼎・李光に交通したことにより停官。戊申、大理寺を改建。辛酉、陳誠之を金に遣わし正旦を賀し王賀に金主の生辰を賀わせる。9月甲申、呉元羙が大臣を譏毀したことにより除名し容州編管。丙申、侍御史曹筠が附下罔上により罷める。冬10月戊辰、右迪功郎安誠が文字で謗訕した罪により恵州編管に送る。秦檜に疾があり執政に檜第へ赴き議事させる。11月甲子、檜が始めて朝し肩輿で宮門に入り2孫が扶掖して升殿するも拝せず。巳巳、金は蕭頥らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興二十一年(1151年)
- 春正月癸未、両淮の民の復業が未だ久しからざるによりその租税を寛める。庚子、平江府の折帛銭を3年蠲免。2月甲寅、夜に雨雹。乙夘、諸州に恵民局を置き官が医書を給する詔。壬戌、巫伋らを金国祈請使とし淵聖皇帝及び皇族の帰還と帝号の増加等の事を請わせる。癸亥、余堯弼に樞密院事を兼簽書させる。3月丁丑、雨雹。丁亥、江浙荆湖等路の中戸以下の積年逋負を蠲免。夏閏4月巳夘、3衙が諸軍を掊剋することを禁じる。丁亥、礼部進士趙逵以下404人に及第出身を賜う。5月辛亥、利州路の選刺義士を罷める。戊午、金は劉長言らを遣わし天申節を賀う。呉璘・楊政・田師中をともに太尉とする。6月甲戌、淮南の佃田で隠された頃畝を括り租税として理める。辛巳、大理寺3衙及び州県に歳ごとに銭を給し薬剤を和し病囚を療させる命。秋7月壬寅、集英殿修撰知衢州曹筠を四川安撫制置使とする。辛亥、柴米税を罷める。癸亥、州県官がかつて科率で民に害を及ぼす重罪に坐した者は守令親民官に任じさせぬ詔。8月辛未、秦檜が重修諸路茶塩法を上呈。壬申、韓世忠が薨ずる。詔して太師致仕を進める。癸酉、通義郡王を追封。郡守の特断を禁じる。乙亥、岳陽軍節度使士樽に開府儀同三司を加え萬夀観使を充てる。甲申、陳夔を金に遣わし正旦を賀し陳相に金主の生辰を賀わせる。9月戊戌朔、寺観の絶産を籍し学に贍させる。乙巳、処州の丁塩銭を均科。丁巳、景霊宮を増築。この月、巫伋が使より還り請う所はみな許されず。冬10月甲戌、張俊の第に幸す。壬午、俊を太師に進め従子子葢を安徳軍節度使に進める。甲申、夜に赤気があった。11月庚戌、余堯弼を罷める。乙夘、提挙常平官に陂湖の修復を命じる。丁巳、義副尉劉允中が指斥謗訕の罪により棄市。12月壬申、雷。癸巳、金は兀朮・魯定方らを遣わし明年正旦を賀う。
紹興二十二年(1152年)
- 春正月丁未、韋淵に太保を加える。3月丁酉、王庶の2子之竒・之荀が朝政を謗毀したことによりみな除名し之竒を梅州、之荀を容州編管。甲辰、直龍図閣葉三省は監都作院の王逺と通書し趙鼎・王庶に力を貸し和議を詆り謗訕にわたったことにより三省は職を落とし筠州居住、逺は除名し髙州編管。丁巳、司農丞鍾世眀を福建路に遣わし寺観の絶産田宅を籍し官に入れさせ、その後歳入銭34万緡。夏4月丙子、巫伋を罷める。辛巳、御史中丞章夏を簽書樞密院事兼権参知政事とする。5月癸丑、金は田秀頴らを遣わし天申節を賀う。この月、襄陽で大水があり容州で野蚕が繭を成す。秋7月甲午朔、程嬰・公孫杵臼・韓厥に公を加封し中祀に昇格。丁巳、䖍州の軍卒斉述が殿前司統制呉進を殺し江西同統領馬晟が州を拠って叛す。8月已夘、鄂州都統制田師中を遣わし兵を発し江西安撫使張澄・殿前司遊奕軍統制李耕と同じく述を討たせる。9月乙未、また左翼軍統制陳敏を遣わし継いで討たせる。癸丑、章夏を罷める。冬10月甲戌、御史中丞宋樸を簽書樞密院事兼権参知政事とし李耕に䖍州知事を就いて命じる。庚辰、黄厳県令楊煒が誹謗により除名し萬安軍編管、知台州蕭振の職を落とし池州居住とする。11月戊申、天地を圜丘に合祀し大赦。丁巳、薦挙受財の刑名を立てる。李耕が䖍州に入り叛兵をことごとく誅し䖍州は平定。12月辛酉朔、夔州路及び蒲江淯井両監の塩銭を歳8万2千余緡減じる。戊子、金は張利用らを遣わし明年正旦を賀う。
宋史巻三十