宋史巻二十八 本紀第二十八 髙宗五

紹興五年(1135年)

  • 春正月乙巳朔、日食があった。帝は平江府にあり金軍は濠州を去る。丁未、諸軍に戦陣を戒め母を殺さぬよう戒める。中原の民で金兵に籍充された者の官田宅を粥し軍費に専充させる。戊申、廬泰2州守禦官属をそれぞれ1官進める。巳酉、前宰執呂頥浩ら19人及び行在職事官にそれぞれ攻戦備禦措置綏懐の策を条上させる詔。淮南官吏の去職の罪を免じ還任させる。承州水砦統領仲諒が楚州に再入。庚戌、張浚は統領楊忠閔・王進を遣わし金軍を淮南岸に挟撃し破りその将程師回・張延夀を降す。辛亥、淮東統制崔徳眀が金兵を盱眙で襲破。張浚を行在に召す。乙夘、浚が入見。沿江監司帥臣の供億の労を賞しそれぞれ1等官を進める。戊午、建康行宮の修築を促す。已未、淮南諸州の雑犯死罪釈流以下の囚を減じる詔。庚申、諸州軍に教場を置き兵を選び弓弩を専習させ按試を立てる。辛酉、殿中侍御史馬伸を左諫議大夫に贈る。韓世忠・劉光世・張俊が入見。壬戌、世忠を少保淮東宣撫使とし鎮江に駐め、光世を少保淮西宣撫使とし太平に駐め、俊を開府儀同三司江東宣撫使とし建康に駐める。甲子、酈瓊が光州を復しその守許約を降す。乙丑、淮南茶塩提刑司を罷め両路提点公事官1員を置き刑獄茶塩漕運市易事を兼領させ、淮西の要会州軍に市易務を置く。戊辰、川陝宣撫司に陥賊官民を招諭させる詔。庚午、王進に江西広東諸将兵を合わせ周十隆を討たせる。海賊朱聡が広州を犯し、また泉州を犯す。壬申、劉光世・韓世忠・張俊が入辞し升殿を命じ、光世と世忠の不仲により酒を賜い諭し釈させみな感激して詔を奉ずる。癸酉、偽斉知亳州馬泰が光州を犯すが権州事王萃が兵を率いこれを拒む。この月、金主晟が殂じ旻の孫亶が立つ。岳飛が池州から入朝。2月丙子、岳飛を鎮寧崇信軍節度使とする。常州の布衣陳得一に新暦を造らせる。丁丑、帝が平江を発つ。戊子、権太常少卿張銖を遣わし太廟神主を温州から奉迎させる。壬午、帝が臨安に至り扈従官吏の秩を1等進める。丙戌、趙鼎を左僕射、張浚を右僕射としともに同中書門下平章事兼知枢密院事都督諸路軍馬とする。岳飛を荆湖南北襄陽府路制置使とし兵を率い湖賊楊太を平定させる。丁亥、呉璘・楊政が秦州を攻め抜き偽斉守胡宣を執え、金帥撒離曷が援に来るが政はまたこれを撃破。巳丑、太廟の建設を詔す。壬辰、張浚に江上へ赴き辺防を措置させ諸路宣撫制置司に専任の旨を諭す詔。右司諫趙霈の論奏が体を得たとして3品服を賜う。丁酉、執政官の秩を1等進め防秋の功を賞す。戊戌、淮南宣撫司に淮北からの来帰官吏軍民を撫存させる詔。巳亥、直史館范冲が神宗実録考異を上呈。庚子、翰林学士孫近・胡交修に臣僚の条具した利害の章疏を類編させる詔。甲辰、湖南路の上供を3年蠲免。この月、偽斉商元が信陽軍を寇し守臣舒継眀は捕えられ死す。閏月乙巳朔、雹が降った。丁未、胡松年を罷める。戊申、雪。巳酉、四川の上供銀帛を留め軍費に充てる。乙夘、孟庾・沈与求にともに枢密院事を権兼させる。丙辰、諸路の提挙常平を茶塩司に併入し福建の鑄銭は転運坑冶司に令して弁集させ罷める。丁巳、撒離曷が秦州を犯そうとし呉玠は部将牛皓を遣わし伺わせるが瓦五谷で遇い戦死。癸亥、海賊陳感が雷州を犯し官軍は屡々敗れる。丁夘、王燮を罷め戸部尚書章誼に財用を措置させ孟庾に総制司を提領させ川陝宣撫司幕僚に司事を摂させ節制軍馬を権兼させる。戊辰、路分総管を置き閑退武臣を処す。辛未、宗正丞を復置し属籍を修めさせ、荆南府帰峡2州荆門公安2軍の歳供上供を2年蠲免。3月甲戌朔、王燮の貪縦不武・敗師誤国により濠州団練使に責授。丙子、樞密計議官呂用中らを遣わし両浙江東西路を分けて経総制司の財用を検察させる。丁丑、侍従から監察御史まで在内は館職、在外は侍従官監司帥守にそれぞれ知る所を挙げ監司守令に充てさせ、まもなく館職に専ら県令の挙用を命じる詔。巳夘、韓世忠に鎮江府宣撫使を兼ねさせ劉光世に太平州宣撫使を兼ねさせる。壬午、都督府参議軍事邵溥に川陝宣撫副使を権兼させる。御前軍器所提挙官を罷め工部に併隷。壬辰、広東福建路に朱聡の招捕を命じる。乙未、初めて鉛錫を榷す。張浚が親しく湖賊を討つ。丁酉、浙西安撫司を臨安府に再び移す。庚子、饒州牧馬監を罷める。夏4月丙午、貴池県丞黄大本が枉法贓の罪で脊杖され南雄州に刺配。丁未、司農丞葢諒を遣わし川陝を撫諭。解潜を行在に召す。王彦が荆南府を知り諸鎮撫使はこれに至りことごとく罷める。戊申、太廟神主が温州から至る。巳酉、審量濫賞により左銀青光禄大夫王序の8官及び職名を追奪しさらに出身を改正。庚戌、内侍が特恩を受けても転官は武功郎に止める詔。壬子、周後柴叔夏が崇義公を襲封したことを訪得。戊午、太廟神主を奉安。巳未、免役保正長法を改める。甲子、太上皇帝が五国城で崩じた。丙寅、帝は射殿に即き景霊宮の朝献の礼を行い惠恭皇后を初めて配祭する。民を募り営田に耕作させ官が牛種を給する。庚午、四川の添差官を省く。辛未、諸路税賦の畸零の増収銭を専充して上供とする詔。この月、龍図閣直学士致仕の楊時が卒した。5月乙亥、初めて太廟に謁す。庚辰、邵溥・呉玠に四川の冗官浮費を裁省させる。辛巳、行宮に新作の書院を資善堂と名づけ何鮮らを金国通問使に遣わす。中書舎人胡寅は国家と金は世讐であり通使の義はないと言うが、張浚は使事は兵家の機権であり後に地を闢き土を復して終に和に帰すべきであり遽に絶つべきでないと奏し遂に遣わす。丁亥、残破州県の守令に墾田及び抛荒の勧民の殿最格を立てる。巳丑、孟庾を知枢密院事とする。壬辰、張浚を行在に召し還す。丁酉、浚に一司勑令の詳定を提挙させる詔。戊戌、貴州防禦使瑗を保慶軍節度使に進め建国公に封じる。徽猷閣待制范冲に資善堂翊善を兼ねさせ起居郎朱震に讃読を兼ねさせる。盛暑により監司に部を行し録囚させる。巳亥、岳飛の軍が鼎州に次る。庚子、周十隆が降る。辛丑、川陝に元祐党人の子孫を訪求させる詔。6月甲辰、武経大夫令矼を安定郡王に封じる。湖賊楊欽・全琮・劉詵が相次いで衆を率い岳飛に降る。乙已、新暦を「統元」と名づける。丁未、饒州鑄銭司を䖍州に併合。已酉、建国公瑗に資善堂に出て聴読させる詔で范冲・朱震を拝す。内帑銭を出し宗室の貧者に賜う。壬子、淮南州県の冗官を再び省く。癸丑、久旱により膳を減じ祈祷し諸路の科率を租税和市軍須外はみな罷める。岳飛が湖賊水砦を急攻し賊将陳瑫が降り楊太は水に赴いて死ぬ。余党劉衡らはみな降る。丁巳、湖賊黄誠が楊太の首を斬り鍾子儀・周倫を挟み都督府に詣り降り湖湘は悉く平定、戸2万7千を得てみな帰業させる。戊午、福建の貢茶の歳額を半減。庚申、旱により諸路の検察財用官を罷める。丁夘、賊平定により沿湖民の前2年の逋租を免じる。巳巳、福建諸州の槍杖手を罷める。秋7月壬申朔、仇悆を沿海制置使とする。甲戌、蘄州の上供及び租税を3年免じる。戊寅、岳飛を奨諭し将士を撫労し張浚に還朝を促す。巳夘、孟庾を罷め沈与求に権枢密院事を兼ねさせ財用の措置を兼ねさせる。壬午、金の軍房州を襄陽府路に隷させる。偽斉兵が湖陽県を寇し唐州守臣髙青を執えるが丁亥にこれを釈す。宇文虚中の家に福建の田10頃を賜う。甲午、残破州県の親民官に到罷の日の戸口を計り殿最を考する詔。韓世忠が鎮淮軍を復し偽斉守王拱を禽える。丙申、湖南路の上供米を3年及び秋租の半分を蠲免。丁酉、高峰王口2砦に都廵検使を置き兵を益し戍らせる。8月壬寅朔、荆南営田司を罷め安撫司に官兵を措置し耕種させる。甲辰、館職額を18員と定める。壬子、淮南山水砦都廵検にそれぞれ守令の節制を聴かせる詔。癸丑、福建州軍の借撥常平銭米を蠲免。巳未、章惇・蔡卞が宣仁聖烈皇后を詆誣した罪を示す詔を下し惇を昭化軍節度副使、卞を単州団練副使に追貶しその子孫は朝に在ることを許さず、広く宮学を内外の宗子に教える。辛酉、淮南襄陽府等路に民社を団結させる詔。丙寅、諸盗の平定により湖広江西22州の雑犯死罪釈徒杖以下の囚を減じる。海賊朱聡が降り水軍統領を補う。この月、偽斉が光州を陥す。9月辛未朔、総制司の増収した頭子等諸色銭を罷める。乙亥、礼部進士汪洋以下220人に及第出身を賜い、唱名は初めて故典に遵い館職に殿上で侍立させる。壬午、岳飛に検校少保を加える。偽斉兵が固始県を寇するが統領華旺がこれを拒戦して却け光州をまもなく復す。甲申、沿海州軍に海舶を籍し要害を分守させる。乙酉、趙鼎が重修神宗実録を上呈。壬辰、元符上書の邪等范柔中ら27人にそれぞれ子1人の官を詔す。解潜の部兵3000を馬軍司に隷す。甲午、周十隆が再び叛し汀州を犯す。戊戌、統領王進・李貴を遣わし討たせる。冬10月庚戌、張浚が入見。乙夘、席益を四川制置大使とし宣撫副使に位し上州軍の兵馬をすべて大使司に隷させ辺防の重事はなお宣撫司に処置させる。李綱を浙西制置大使、呂頥浩を湖南制置大使とする。戊午、川陝の類試合格第1人には殿試第3人の例により恩を推し、余はみな進士出身特奏名進士を賜う。宣撫に官を選ばせ時務策を試させる詔。澧州の賊雷徳進が降る。乙丑、偽斉兵が漣水軍を寇するが韓世忠は統制呼延通らを遣わし逆撃し破る。11月庚午朔、初めて節度使以下の金字牙符を置き都督府に掌らせ戦功を立てた将帥に給する。州県に戸帖を売らせ軍費を助けさせる。癸酉、守臣で死節の昭著な者は品秩を限らずみな諡を賜う詔。乙亥、和靖処士尹焞を涪州から徴し崇政殿説書とする。戊寅、郊祀。辛巳、淮南提挙塩事官を復置。壬午、宮女3千人を出す。甲申、宰執及び行在官吏の奉を権に減じる。乙酉、趙開を四川都転運使とする。丙戌、張浚に荆襄川陝を視師させる。戊子、衡州知事裴廪が調夫築城の罪で凍死者2千余人を出し除名し嶺南髙州編管。乙未、内帑の綿絹を宗室に賜う。丁酉、催税戸長を罷める。12月巳亥朔、岳飛を荆湖南北襄陽府路蘄黄州招討使とし楊沂中に殿前司を権主管させ神武中軍を併せ統べさせる。庚子、神武4軍及び廵衛軍号を行営5護軍と改める。辛丑、都督府の兵を三衙に隷させ、左右司樞密院検詳官に中興以来の已行条例を参考し定法に修めさせる。乙巳、翠羽の服用を禁じる。已酉、侍従官の輪対を免じる。庚戌、横江水軍3分の1を汰す。癸丑、両淮川陝荆襄荆南諸帥府に参謀官1員をそれぞれ置き屯田を提点させる。癸亥、川陝州県官は悉く川陝人を用いることを禁じる。丙寅、都督府は参議軍事劉子羽を遣わし機宜文字を主管させ熊彦詩に川陝を撫諭させ辺備の虚実を察させる。戊辰、夜に雨雹があった。

紹興六年(1136年)

  • 春正月辛未、貧民の戸帖銭の半分を蠲免しその物産のない者はことごとく除く。癸酉、給事中中書舎人に元祐党籍を甄別させる。乙亥、内重外軽により省台寺監及び監司守令で職を居ること2年に及ぶ者は更迭して出入し除擢させる。丁丑、粟を入れ官を補す者は親民刑法の職を授けぬとの詔。壬午、宗子伯玖の名を璩と賜い和州防禦使とする。綿州宣撫副使を罷め呉玠に専ら兵事を治めさせる。御史の刑獄賞罰の平反を罷める。丙戌、張浚が荆襄を視師し入辞。已丑、安定郡王令矼が薨ずる。庚寅、預借した坊場銭を還す。辛夘、監司帥臣で慢令失職の者は張浚に黜陟を聞かせる詔。甲午、江湖福建浙東の饑民を振い監司帥臣に僚属及び提挙常平官を選び躬行検察させる。戊戌、通直郎閣門宣賛舎人以下の官を鬻ぐことを命じる。2月庚子、諸路宣撫制置大使にみな営田大使を兼ねさせ、宣撫副使招討安撫使にみな営田使を兼ねさせる。壬寅、雨雪あり江淮屯田を営田と改める。甲辰、行在に交子務を置き交子・銭引を印し諸路に公私で見銭同様に行用させる。戊申、岳飛が入見。襄陽府路を京西南路に復す。辛亥、張浚に暫く行在に赴き奏事させる詔。甲寅、兵部尚書都督府参謀折彦質を簽書枢密院事とする。乙夘、韓世忠が兵を率い宿遷県を攻め統制呼延通が金兵と戦い破りその将孛堇牙合を禽える。澧州の賊徒伍俊が雷徳進を殺しその首を持って鼎州に詣り降る。丙辰、韓世忠が淮陽軍を囲み諸路市易務を復置。戊午、楊沂中に兵1万で都督行府の調遣を聴かせる。已未、戸部侍郎劉寧止を遣わし鎮江府で3宣撫司の銭糧を総領させる。辛酉、兀朮が淮揚を救い韓世忠は兵を引いて楚州へ帰る。壬戌、折彦質に権参知政事を兼ねさせる。癸亥、沈与求を罷める。李綱が入見。この月、張浚が江上に至り諸将と議事し張俊に盱眙へ進屯させる。3月戊辰朔、初めて官告綾紙銭を収める。均房州の民兵を保勝と名づけまた3千人を招刺し必勝軍と名づける。巳巳、韓世忠を京東淮東路宣撫処置使、岳飛を京西湖北路宣撫副使とする。辛未、旱傷州県の民の積欠銭帛租税を蠲免。巳夘、岳飛に鄂州へ趣き軍事を措置させる。辛巳、樞密副都承旨馬拡を沿海制置副使とする。壬午、金斉兵が漣水軍を犯すが韓世忠が撃破。壬辰、四川災傷州県の戸帖銭の半分を寛める。夏4月戊戌朔、湖南の賊黄旺が桂陽監を犯す。甲辰、偽斉兵が唐州を陥し団練判官扈挙臣・推官張従之らがみな死す。岳飛は母の喪により去官するが丙午詔して起復。巳酉、文武臣僚で彊敵に勝ち境土を恢復した者に功臣号を賜う詔。庚戌、初めて諸宗子の名を訓す。甲寅、淮陽の功を賞し呼延通らの官を進めることに差をつけ余の受賞者は凡そ1万7千人。劉光世は副統制王師晟・酈瓊を遣わし偽斉兵を劉龍城で襲破しその統制華知剛を禽える。巳未、福建安撫司に水軍を発し海賊鄭慶を討たせる詔。辛酉、四川で邊山林の伐採を禁じる。甲子、韓世忠を横海武寧安化軍節度使とし揚武翊運功臣と号し商旅の緡銭税を除く。丙寅、行在官吏の奉を復す。東京民の渡淮南商販の税を蠲免。5月戊戌朔、鹿胎を冠とすることを禁じる。癸酉、上殿していない臣僚には先に三省で審察させてから引対させる詔。戊寅、四川監司の地の遠さにより違戻あれば制置大使に劾させる。壬午、大理司の議獄が合わずんば刑部に関決させ、刑部でも定まらぬときは都堂で赴禀議させる詔。呉玠に四川戸帖銭10万緡を賜い犒軍。癸未、淮南州県の額外雑色租収集を禁じる。乙酉、交子を関子と改め交子務を罷める。庚寅、劉光世を保静寧武寧国軍節度使とする。壬辰、張俊に盱眙へ進屯させ崇信奉寧軍節度使に改める。甲午、銷銭及び私鋳銅器を禁じる。丙申、監司の慮囚が偏及できない場合は官を遣わすことを聴す旨を令とする詔。6月乙巳朔、夜に地震があった。巳酉、直言を求める。甲寅、張浚が江を渡り淮上の諸屯を撫し劉光世に当塗から廬州へ進屯させ岳飛に九江から襄陽へ進屯させ楊沂中に泗州に屯させる。戊午、両淮沿江守臣にみな2、3年を任とする詔。辛酉、集英殿修撰令懬を安定郡王に封じる。秋7月壬申、司農少卿樊賔に営田公事を提領させる。癸未、張浚に暫く行在に赴くよう詔す。癸巳、川陝便宜差遣の監司守貳を罷め、金州を川陝路に隷し均房2州を京西南路に隷させ郭浩を永興軍路経畧安撫使兼知金州、閤門宣賛舎人邵隆を知商州とし浩の節制を聴かせ商虢を経理させる。この月、劉光世が夀春府を復す。8月巳亥、范宗尹が薨ずる。庚子、左司諫陳公輔に3品服を賜う。癸夘、徽猷閣直学士李迨を四川都転運使とする。甲辰、将士に親征の詔を諭す。岳飛は統制牛臯を遣わし偽斉鎮汝軍を破りその守薛亨を禽える。乙巳、権殿前司解潜らに精兵で扈従させ主管歩軍司邊順に兵を留め臨安を守らせ知臨安府梁汝嘉を廵幸随軍都転運使とする。丁未、秦檜を醴泉観使兼侍読行宮留守、孟庾を提挙萬夀観兼侍読同留守とする。戊申、岳飛は将楊再興を遣わし西京長水県を復す。巳酉、秦檜・孟庾に尚書省枢密院事を権参決させる。庚戌、䖍州の残破諸県の逋負を蠲免し梅州の夏秋両税を広東経畧安撫司の便宜措置に聴す。辛亥、神主を奉じ臨安を発つ。丁巳、経筵を権に罷め奏を進める。巳未、江浙民の来年夏税絁帛を予借し折米で官に輸す。庚申、職事官の米に月3斛を増給する。この月、張浚が盱眙に城き泗州に進屯。岳飛は偽斉の李成・孔彦舟と連戦し蔡州に至り克し偽守劉永夀が城を挙げて降る。9月丙寅朔、帝は臨安を発つ。岳飛は統制王貴・郝晸・董先を遣わし虢州盧氏県を復す。癸酉、帝は平江に次る。戊寅、職事官に日ごと1員が輪対することを命じる。壬午、岳飛は孤軍援なきをもって鄂州へ還る。癸未、権に神主を平江能仁寺に奉安。戊子、戸部郎官霍蠡に岳飛軍の銭糧を総領させる。庚寅、張浚が入奏しまた鎮江へ赴く。辛夘、賊徒の相招首罪の賞格を立て鎮淮軍の功を賞し統制王徳らの官を進める。この月、劉豫は親征を金主亶に急告し援を求めるが亶は許さず、豫は自ら兵30万を起こし子麟に合肥へ趣かせ姪猊に渦口を出させ兵を分けて道を分けて入寇。冬10月丙申、西北流寓人を招き闕額禁軍を補う。丁酉、淮南路の租額を裁定。劉麟が淮西を寇し張浚は楊沂中・張宗顔らを遣わし兵を分けて禦がせる。戊戌、沂中が濠州に至り劉光世はすでに廬州を棄てて南したため浚は人を遣わし還るよう督するが光世は聞かず沂中に応じて駐兵。沂中は統制王徳・酈瓊を遣わし賊将崔臯・賈澤・王遇と戦いみな破る。賊兵が夀春府芍陂砦を攻めるが守臣孫暉が拒戦しまた破る。辛丑、四川監酒官百余員を罷める。壬寅、梁汝嘉に浙西淮東沿海制置使を兼ねさせ前護副軍都統制王彦を副とする。癸夘、趙鼎は勑を降し張浚を諭し光世・沂中及び張俊に全軍を引還させ防江の計とするよう請う。甲辰、また浚に督将士戮力破賊を詔すがみな達せず。劉猊が定遠県を犯すが沂中が進戦し藕塘で大破、猊は身をもって逃げ麟は順昌にありこれを聞き砦を抜いて去る。劉光世は王徳及び沂中を遣わし麟を南夀春まで追い還り、孔彦舟もまた光州の囲みを解いて去る。戊申、解潜に兵1千で青龍港口を守らせる。癸丑、張俊・楊沂中が兵を率い夀春府を攻めるが克てず還る。乙夘、諸軍で俘えた人民に銭米を給し帰す詔。丁巳、恵州の軍賊曽衮が乱をなすが庚申、摧鋒軍統制韓京が敢死士を募り夜襲してこれを破り衮はまもなく出降。壬戌、日中に黒子があり没した。12月甲午朔、廬光濠等州の死罪釈流以下の囚を降す詔。秦檜を行在に召す。張浚が入見し建康への幸を請い趙鼎は臨安への還を請う。戊戌、韓世忠が淮陽軍を攻め金軍と戦い破る。辛丑、南夀春府に城く。壬寅、趙鼎を罷める。右司員外郎范直方を遣わし川陝を宣諭し呉玠の将士を撫問。甲辰、都督府参議軍事呂祉に建康へ赴き移蹕を措置させる。丙午、折彦質を罷める。丁未、淮西の功を賞し張俊に少保を加え鎮洮崇信奉寧軍節度使に改め、楊沂中を保成軍節度使殿前都虞候とする。戊申、秦檜に経筵に赴き供職させ孟庾を行宮留守とする。辛亥、資政殿学士張守を参知政事兼権枢密院事とする。丙辰、呂頥浩を浙西安撫制置大使判臨安府とする。丁巳、劉光世を護国鎮安保静軍節度使とする。戊午、民事により罪を得た者は親民に許さぬ詔。巳未、辰沅靖澧4州に閒田で刀弩手3500人を募る額を命じる。右司諌陳公輔が程氏学を禁じ士大夫の学は孔孟を師とすべしと乞い、詔してほぼその言行が相称うことを済世に用いるべしとする。庚申、安化郡王王稟が太原で死節したことにより家に田10頃を賜う。辛酉、山陰諸暨等40県を大邑としみな堂除とする。

紹興七年(1137年)

  • 春正月癸亥朔、帝は平江にあり建康へ蹕を移す詔を下す。無為軍の税役を1年蠲免し建康に御前軍器局を置く。丁夘、張浚の破敵の功を賞し特進に遷す。巳巳、米1万石を発し京東陝西からの来帰の民を済う。張浚が入見。甲戌、都督府諸州の市易官を罷める。丁丑、解潜を罷め劉錡に馬軍司并びに殿前歩軍司公事を権主管させる。庚辰、采石宣化渡の2城を築く。癸未、翰林学士陳与義を参知政事、資政殿学士沈与求を同知枢密院事とする。広西帥臣に土丁保丁を訓練させる詔。乙酉、樞密使副知院以下を復置し張浚は兼樞密使に改める。丙戌、諸軍が亡卒を互納することを禁じる。西蕃38族首領趙継忠らが来帰。丁亥、秦檜を樞密使、何鮮・范寧之が金国より至り初めて上皇及び寧徳皇后の崩を聞く。巳丑、帝は成服し詔して徒囚を降し杖以下は釈す。辛夘、夜東北に赤気があり火のようであった。2月癸巳朔、日食があった。百官が7たび上表し以日易月の制に遵うことを請う。徽猷閣待制知厳州胡寅が3年の喪に服し墨で戎に臨み天下を化することを請い、帝は服喪を終えることを欲するが張浚は連疏で喪服のまま戎に即けないと論じ遂に外朝には勉めて所請に従わせ宮中では3年の喪を行わせる詔。丙申、太平州で火災。丁酉、鎮江府で火災。庚子、王倫らを金国に遣わし梓宮を迎奉。岳飛が入見。辛丑、日食により直言を求める。久旱により諸州に囚を慮させる。乙巳、辟挙官が贓罪を犯した場合その罪は挙官に及ぶ詔。丙午、呉玠が銀会子を河池に置く。丁未、席益に陝西河東河北兵3000を募り行在に送り扈衛に充てさせる詔。癸丑、雨雹。丙辰、初めて便殿に御す。果州守臣宇文彬らが禾登9穂の図を進めるがみな1官を奪い罷める。丁巳、岳飛を太尉湖北京西宣撫使とする。巳未、帝は平江を発つ。3月癸亥朔、丹陽に次る。韓世忠が入見し世忠に扈従を命じ岳飛これに次ぐ。甲子、鎮江に次る。楊沂中が入見し沂中に廵幸事務の弾圧を総領させる。巳丑、駐蹕及び経従した州県の積年逋賦を蠲免。丁夘、吏部侍郎呂祉を兵部尚書都督府参謀軍事とする。辛未、帝は建康に至る。壬申、尚書省の常程事は参知政事に分治させる詔。癸酉、建康の流罪以下の囚を減じ建康府太平宣州の逋賦及び下戸今年の身丁銭を蠲免。岳飛は淮西兵を併統し京畿陝右の収復を乞い許されたが、既に秦檜らが合兵を疑事としたため遂に寝む。戊寅、手詔で将士を撫労し沈与求を進めて知枢密院事とする。巳夘、宣和皇后を皇太后に尊ぶ。庚辰、王彦の兵を侍衛馬軍司に隷させ呂頥浩を少保兼行宮留守とし孟庾を罷める。甲申、劉光世を少師萬夀観使としその兵を都督府に隷させ張浚はこれにより6軍に分け呂祉に節制させる。乙酉、光世に第を建康府に賜う。丁亥、䖍吉南安軍諸県にそれぞれ土兵100人を募り知県に訓練させ盗賊を防禦させる。この春、広西で大飢し李実が桃に変ずる。夏4月癸巳、太廟を建康に築き臨安府太廟を聖祖殿とする。戊戌、建康城池を修濬。丁未、岳飛は解官持餘服を乞い遂に軍を棄て去るが詔して許さず。戊申、日中に黒子があった。庚戌、張浚は屡々岳飛が併兵に慮を専らにし奏牘で求去し要君の意にあると陳したことにより兵部侍郎兼都督府参議軍事張宗元に湖北京西宣撫判官を権らせその軍を実監させる。壬子、張浚が太平州淮西へ視師に赴く。庚申、信陽軍を京西路に隷し淮南提点司東西両路を罷めそれぞれ転運を置き提点刑獄提挙茶塩常平事を兼ねさせる。5月丁夘、李綱に䖍吉諸盗の趣捕を詔す。壬申、礼官に文宣王武成王熒惑夀星嶽鎮海瀆農蚕風雷雨師の祀を挙げさせる。甲戌、胡安国を萬夀観提挙兼侍読とし行在赴きを促すが未だ至らず罷める。癸未、酈瓊を行営左護軍副都統制とする。甲申、初めて樞密院都督府の效士を試す。乙酉、侍従官に材が知県に堪える者20人を通挙させる。丙戌、偽斉が随州を陥す。巳丑、四川で錢引の増印を禁じる。6月辛夘朔、惠恭皇后の諡を顯恭皇后と改める。岳飛が入見。壬辰、歳辰戌月に大火を祀ることを命じ閼伯を配す。乙未、江淮営田司を罷め諸路安撫転運司にこれを兼領させる。丙申、重修神宗実録の去取が未だ当たらぬとして史館に再度考訂させる。丁酉、岳飛が過を引き自劾するが詔して放罪し慰諭。戊戌、劉錡に都督府咨議軍事を兼ねさせ兵を率い廬州を戍らせる。乙巳、沈与求が薨ず。王徳をその部兵で行在に赴かせ呂祉を淮西に遣わし諸軍を撫諭。丙辰、呉玠・李迨に四川の経費贍軍恤民を共議させる詔。岳飛が職に復す。秋7月戊辰、侍従にそれぞれ監司郡守に堪える者1、2人を挙げさせる詔。癸酉、旱により天地宗廟社稷に祷る。甲戌、嗣濮王仲湜が薨ず。癸未、久旱により中外臣庶に実封で言事させる詔。甲申、諸路民の積年逋租を蠲免。建康の疫盛により医を遣わし貧民を行視させ銭を給しその死者を葬らせ滞獄を疎决させる詔。乙酉、建康の権社稷の位を正すよう詔す。戊子、戸部長貳に迭出廵按で諸路の財賦利病を考究させ違う者は劾させる詔。巳丑、諸路の帰業民に墾田は8年から全税を輸させる詔。8月乙未、張俊を淮西宣撫使とし盱眙に駐め、楊沂中を淮西制置使とし侍衛馬軍司を主管させ廬州に駐め劉錡を副とする。酈瓊に兵を率い行在赴きを命じる。戊戌、瓊が叛し中軍統制張景らを殺し呂祉及び趙康直・趙不羣を執え兵4万人で劉豫のもとへ奔る。辛丑、手詔で廬州屯駐の行営左護軍を赦す。壬寅、酈瓊が兵を淮まで引き祉及び康直を殺し不羣を釈して還らせる。劉錡・呉錫が廬州に至りこれを追うが及ばず張宗元にこれを招かせる。張浚が去位を乞う。甲辰、趙鼎を萬夀観使兼侍読とする。甲寅、命官が贓を犯した場合刑部は擅に黥配することを許さず朝廷の裁断を聴す詔。乙夘、岳飛軍に銭10万緡を賜い帰正復業人が湖北京西の閒田を耕すことを招く。9月甲子、太上皇帝を聖文仁徳顯孝皇帝と諡し廟号を徽宗、皇后を顯肅皇后とする。丁夘、韓世忠・張俊が入見し俊を盱眙から廬州へ屯を移させる。壬申、張浚を罷める。癸酉、参知政事に輪日で当筆させ三省事を権に分治せず常程に罷める。都督府を罷める。甲戌、台諌の累疏により張浚の観文殿大学士を落とすが宮祠は領させる。丙子、趙鼎を尚書左僕射同中書門下平章事兼樞密使に復す。戊寅、廬州夀春府の民が酈瓊の虜掠に遭ったことにより租税を1年蠲免。巳夘、聖祖を常朝殿に朝献。庚辰、太廟に朝饗。辛巳、天地を明堂に合祭し大赦。劉光世を行在に召す。戊子、諸路が羨餘を進めることを禁じ劉錡に廬州を知させ淮西制置副使を兼ねさせる。冬10月庚寅朔、経筵を旧のごとく開くよう詔す。辛夘、後省官に上書で採るべき者があれば条上して行わせる。丁酉、夜に張浚を嶺表安置とする勑。戊戌、趙鼎は浚の母が老いていることから累請し永州居住に改める。偽斉が泗州を犯すが守臣劉綱がこれを撃退。丙午、戸部郎官薛弼・霍蠡に江西湖広5路の財賦を同じく総領させる。壬子、統制呼延通・王権らが金軍を淮陽軍で襲撃し破る。丁巳、6参の日に行在百官1員が輪転対する詔。閏月癸亥、趙康直に徽猷閣待制を贈る。乙丑、江東路の月椿銭万緡を蠲免し米2万石を発し京西湖北の饑民を振う。丙寅、尹焞が入見し秘書郎兼崇政殿説書とする。甲戌、徽宗皇帝顯肅皇后の神主を初めて作る。庚辰、韓世忠が兵を率い淮を渡り金軍を劉冷荘で逆撃し破る。辛巳、李綱を罷める。癸未、漢陽軍を復す。この月、張俊が盱眙を棄て兵を引いて建康へ還る。11月丙申、呉玠に犒軍銭150万緡を賜う。丁酉、温州知事李光を江西安撫制置大使とする。丁未、金帥撻懶・兀朮が汴京に入り偽斉の劉豫を廃し蜀王とする。癸丑、来春浙西へ再幸することを詔す。この月、偽斉知臨汝軍崔虎が岳飛に詣り降る。12月庚辰、四川茶馬監牧官の都大提挙を復置。丁夘、徽宗皇帝顯肅皇后の神主を太廟に祔す。庚午、解潜に馬歩軍司を権主管させ韓世忠に楚州に留屯し江淮を屏蔽させる。巳夘、内外の大将及び侍従官に武臣の智略器局で帥守に堪える謀議官を挙げさせる詔。癸未、王倫らが使より還り入見し金国が梓宮及び皇太后を還すことを許し、また河南諸州も還すことを許したと言う。甲申、泗州を築く。丁亥、再び王倫らを遣わし梓宮を奉迎させる。この冬、呉玠は裨将馬希仲を遣わし熙州を攻めさせ鄭宗・李進に鞏州を攻めさせるが克てず宗は城下で死し希仲は逃げ還るが玠はこれを斬って狥す。