宋名臣言行錄外集卷六十七 王蘋

出自と経歴

  • 字は信伯。代々福州福清に居し、その父の代に平江に移った。守臣の孫公祐がその学行を朝廷に推薦し、召見されて進士出身を賜り、秘書省正字に除せられ、ほどなく史館校勘を兼ね、著作郎に遷った。常州の倅(副知事)を外に求めて祠官に就き致仕した。官は左朝奉郎に至り、紹興二十三年に没した。享年七十二。

人柄

  • 先生は資稟が精粋で、充養が純固であった。平生は恂恂として儒者らしく、当世の政務について語るとまるでその実務に習熟している者のようであったが、当世に名を求めることはなく、世もまたその存在を知る者は少なかった。

帝王の学についての上言

  • 先生は上言して「人の心は広大で果てしなく、万善がみな備わっている。堯・舜・禹・湯・文・武の道を伝えようとするなら、この心を拡充することにこそある。帝王の学は儒生の学とは異なる。儒生は章句文義に従事するが、帝王はその要を得てこれを事業に施すことを務める。聖人が世を経営する大法はみな書物のうちに備わっており、もしその要を得て挙げて行えば、難しいことはない」と述べた。

楊時・胡安国らの評価

  • 楊文靖(楊時)は程門の先進であった当時、「同門の後進で成就することでは我が信伯(王蘋)に及ぶ者はない」と語った。朱震・胡安国・尹焞もみな彼を自分の代わりとして推挙した。文定(胡安国)は特に力を入れて彼を推薦し、「その学問には師承があり、識見は世務に通じている。もし彼に献納の任を司らせれば、必ず聖代に補うところがあるだろう」と論じた。