出自
苦節の学びと縁組の逸話
- 太学より若くして登第し、まだ三十歳にならぬうちに伊川にまみえ、身を持すること甚だ厳しく、一室に塊坐して窓すら開けなかった。幼くして母方の親戚の娘との縁談があったが、登第の後、その娘が両目とも失明したにもかかわらず、これを娶り、常人以上に愛した。伊川は「私(頤)は三十歳にならぬうちはこのようなことはできなかった」と語り、それでいて恭叔がその後急激に進んでは急激に退くさまをしばしば歎き惜しんだ。
酒席の過ちと伊川の叱責
- かつて酒席で心惹かれることがあり、後にそっと人に「尹彦明(尹焞)に知られないようにせよ」と語った。また「知られたところで何の害があろうか、これは義理に反しないのだから」とも言った。伊川がこれを帰洛の折に聞き及ぶと「これは禽獣にも劣る」と言い、さらに「父母から受けた身をもって賤しい妓と交わってよいものか」と語った。
見識の限界についての評
- 謝上蔡(謝良佐)は「学ぶ者は胸中のこだわりを擺脱(振り払う)できてこそよい」と語った。ある人が周恭叔についてこのように放り開くことができているかと問うと、「彼は擺脱できているのではない、ただ立ち行かなくなって早々に手放しただけだ」と答えた。
- 胡文定(胡安国)は「人はすべからく世の味わいに対して淡薄であるべきで、富貴の相を持ってはならない。周恭叔は才が高く見識も明らかで初年は非常によかったが、後には私事の累が大きくなりすぎた。もし節を守り確かなものにしていれば、大いに進んだであろうに」と語った。