武帝の代(永初年間)
- 永初元年(420年)10月辛丑、熒惑が進賢を犯す。占では進賢の官が誅せられるとされる。11月乙卯熒惑が角で填星を犯す。占では喪あり大人これを憎むとされ、あるいは兵が起こるともいう。12月庚子月が亢で熒惑を犯す。占では内乱あり、あるいは貴人に憂いあり、角は天門・亢は朝廷を表すとされる。3年5月宮車晏駕(武帝崩御)、7月太傅長沙景王道憐が薨じ、索頭が青・司・兗の三州を攻略し禁兵が大出、以後司徒徐羨之・尚書令傅亮・領軍謝晦らが少帝を廃した。これらはみな内乱の応である。
- 永初元年12月甲辰、月が南斗を犯す。占では大臣に憂いありとされ、3年7月長沙王が薨じ索虜が青・司二州に寇し大軍が救援に出た。
- 永初2年(421年)6月甲申、太白が昼に見える。占では兵喪・臣強しの兆しとされ、3年5月宮車晏駕、ほどなく兵を遣わし青・司を救ったが、後に徐羨之らが権を秉ったのも臣強しの応である。
- 永初2年6月乙酉、熒惑が氐を犯し乙巳房を犯す。占では氐は宿宮・房は明堂を表し人主に憂いあり、房はまた将相を表し将相にも憂いあり、氐房はまた兗豫の分野とされる。3年5月宮車晏駕、7月長沙王が薨じたが王は兗州の任にあり、景平元年廬陵王義真が廃されたが王は豫州の任にあった。
- 永初2年10月、太白が亢で填星を犯す(亢は兗州の分野で鄭にも当たる)。占では大星に大兵あり金土の合は内兵の兆しとされ、3年索頭が青・冀・兗の三州を攻略し禁兵が大出、兗州は守を失い虎牢が陥没した。
- 永初3年(422年)正月丁卯、月が南斗を犯す。占は元年と同じ、あるいは女主がこれに当たるともいう。2月辛卯星孛が虚危に現れ河津に向かい河鼓を掃う。占では兵喪の兆しとされ、5月宮車晏駕、翌年軍を遣わし青司を救い、2月太后蕭氏が崩じた。
- 永初3年2月壬辰、填星が亢を犯す。占では諸侯に国を失う者あり民が多く流亡する、あるいは廷臣が乱をなすとされる(亢は兗州の分野で鄭にも当たる)。この年索頭が司・兗を攻囲、兗州刺史徐琰は守を捨てて敗走、司州刺史毛徳祖は守り戦うも陥没し、沿河の吏民は多く侵略された。
- 永初3年3月壬戌、月が南斗を犯す。占は正月と同じ。5月丙午月が軒轅を犯す。占では女主がこれに当たるとされる。6月辛巳月が房を犯す。占では将相に憂いあり豫州に災いありとされる。癸巳歳星が昴で犯される。占では趙魏に兵と飢饉ありとされる。この年虜が青・兗・司の三州を攻略、廬陵王義真が廃されたが王は豫州の任にあった。2月太后蕭氏が崩じ、元嘉3年司徒徐羨之らが誅に伏した。
- 永初3年9月癸卯、熒惑が太微を経て左執法を犯し、己未右執法を犯す。占はいずれも上に同じ。10月癸酉太白が南斗を犯す。占では国に兵事あり大臣に反する者があるとされる。辛巳熒惑が進賢を犯す。占では進賢の官が誅せられるとされ、翌年師が出て青・司を救い、景平2年徐羨之らが帝を廃し王を徙し、元嘉3年羨之及び傅亮・謝晦は悉く誅された。
- 永初3年11月戊午、星孛が室壁に現れる。占では兵喪の兆しとされ、翌年兵が青司を救い、2月太后蕭氏が崩じた。営室は内宮の象である。
- 永初3年11月癸亥、月が亢氐を犯す。占では国に憂いありとされる。11月戊戌熒惑が房を犯す(房は明堂で王者がこれを憎むとされ、あるいは将相に憂いありともいう)。景平2年羨之らが帝を廃しよってこれを害し、元嘉3年羨之らは誅に伏した。
少帝の代(景平年間)
- 景平元年(423年)正月乙卯、星孛が東壁南に現れ白色で長さ2丈余、天苑を払い20日で消える。2月太后蕭氏が崩じた。10月戊午星孛が氐北の尾に現れ長さ4丈、西北に向かい摂提を貫き大角に向かって東行、日に6、7尺伸び10余日で消える。翌年5月羨之らが帝を廃した。
文帝の代(元嘉年間)
- 元嘉元年(424年)10月熒惑が心を犯す。元嘉2年正月甲寅夜、天の東南に黒気があり広さ1丈長さ10余丈。元嘉6年5月太白が昼に見え天を経る。元嘉7年3月太白が奎で歳星を犯し、6月熒惑が東井を犯し輿鬼が軒轅に入り月が歳星を犯す。11月癸未西南に気があり上下は赤く中央は黒く広さ3尺長さ30余丈、旌旗のような形。12月丙戌流星の頭が缶のようで尾は長さ20余丈、大きさは数十斛の船ほどあり赤色で光が人の顔を照らし、西から奎の北の大星を経て南に進み東壁に至って止まった。この年索虜が青・司に寇し刺史を殺し民を掠め、征南大将軍檀道済を遣わし討伐に赴かせたが歳を経てようやく帰った。
- 元嘉8年(431年)4月辛未、太白が胃で昼に見える。5月天関・東井を犯す。6月庚子熒惑が東井に入る。7月壬戌夜白虹が東方に現れる。丁丑太白が上将を犯す。8月癸未太白が太微右掖門内に入り左執法を犯し、乙未熒惑が積尸を犯す。9月丙寅流星が斗ほどの大きさで赤色、太微西蕃を発し北行し北斗に至らずして消え、余光は長さ3丈ほど。10月丙辰金と土が須女で相犯し、月が天関・東井を奄す。12月月が房・鉤鈐を犯す。10年仇池の氐が漢中に寇し梁州が戍を失った。
- 元嘉9年(432年)正月庚午、熒惑が輿鬼に入る。3月月が軒轅を犯す。4月左角を犯し歳星が羽林に入り月が房・鉤鈐を犯す。己丑太白が積尸に入る。5月軒轅を犯し月が南斗第六星を奄す。辛酉熒惑が太微右掖門に入り右執法を犯す。7月丙午月が左角を蝕する。8月癸未太白が心前星を犯し、乙酉心明堂星を犯す。元嘉10年10月流星があり大きさ缶のようで尾は長さ20余丈。元嘉11年2月庚子月が畢を犯し畢口に入って出、それによって暈をなし昴畢の西から五車の東・参まで及ぶ。3月丙辰太白が参で昼に見える。閏月戊寅太白が五諸侯を犯し、己丑月が東井に入り太白を犯す。当時司徒彭城王義康が権を専らにしていた。
- 元嘉12年(435年)5月壬戌、月が右執法を犯す。7月壬戌熒惑が積尸を犯し上将を奄す。10月丙午月が右執法を犯す。12月甲申太白が羽林を犯す。17年上将・執法にあたる者が皆誅された。
- 元嘉13年(436年)正月庚午、月が熒惑を犯す。2月月が太微東蕃第一星を犯す。11月辛亥歳星が積尸を犯す。12月戊子熒惑が羽林に入る。翌年大将軍彭城王義康及びその党与が収められ捕らえられたが、みな羽林の兵卒によってであった。
- 元嘉14年(437年)正月、星が晡前(夕刻前)に東北の維、井の左右で昼に見え黄赤色で橘ほどの大きさ。月が東井を犯す。4月丁未太白が輿鬼を犯す。5月丙午太白が太微で昼に見える。7月辛卯歳星が軒轅に入る。8月庚申熒惑が上将を犯す。9月丙戌熒惑が左執法を犯す。その後皇后袁氏が崩じ丹陽尹劉湛が誅され尚書僕射殷景仁が薨じた。
- 元嘉15年(438年)4月己卯、月が氐を犯す。10月壬戌流星が鴨の卵ほどの大きさで文昌から出て紫宮に入り雷のような音がした。11月癸未熒惑が羽林に入る。丁未月が東井鉞星を犯す。その後丹陽尹劉湛らが誅された。
- 元嘉16年(439年)2月、歳星が逆行し左執法を犯す。5月丁卯太白が胃昴の間で昼に見え、月が羽林に入り太白が畢・歳星・左執法を犯す。7月月が填星と会する。8月太白が軒轅を犯す。翌年皇后袁氏が崩じ、熒惑が太微西上将を犯し太白が翼で昼に見える。9月熒惑がともに太微に入り相犯し太白が左執法を犯し熒惑が右執法を犯す。10月歳星と熒惑が亢で相犯す。11月熒惑が房北第一星を犯す。翌年大将軍義康が豫章に出徙し、その党与が誅され、尚書僕射揚州刺史殷景仁が薨じた。
- 元嘉19年(442年)9月客星が北斗に現れ漸く彗星となり天苑に至って消える。元嘉20年2月24日乙未、桃ほどの大きさの流星が天津から出て紫宮に入り、まもなく細かい流星が5つあるいは3つ相続いて現れ、また1つの大流星が紫宮から出て北斗魁に入り、まもなくまた1つの大流星が貫索の中から出て天市垣を経て諸流星が北へ向かい暁まで数えきれなかった。流星の占ではいずれも天子の使いとされ、また庶民は星に喩えられ星が流れるのは民が散る象ともされる。27年に至り索虜が青・冀・徐・兗・豫の六州を残破し民は死者が半ばを超えた。
- 元嘉22年(445年)2月、金火木が東井で合する。4月月が心を犯し太白が軒轅に入る。7月太白が昼に見える。その冬太子詹事范曄が謀反し誅に伏した。
- 元嘉23年(446年)正月、金火が相い爍く。この月索虜が青州に寇し民戸を駆略した。
- 元嘉24年(447年)正月、月が心大星を犯し天の星がみな西流し多くは細かく大きなものでも鶏卵ほどを超えず尾に長短があり数百を数え、明け方の日光が定まってようやく止んだ。星が北斗紫宮に入るものもあった。流星が群れをなして向かう先には兵が集まりその下に大急ありとする占、衆星が並んで流れれば将軍がこぞって挙兵し星の向かう先に応じるという占、流星が紫宮に入れば喪あり水旱調わずとする占、流星が北斗に入れば大臣に繋がれる者ありとする占、流星が民を表せば大星は大臣、小星は小民が流亡するという占などがあった。4月太白が昼に見える。8月征北大将軍衡陽王義季が薨じ、豫章の民胡誕世がその宗族を率いて郡県を破り太守及び県令を殺した。
- 元嘉25年(448年)正月、火水が羽林に入り、月が歳星を犯し太白が昼に見え天を経る。元嘉26年10月彗星が太微に入る。11月白気が北斗を貫く。27年夏太白が昼に見え天を経る。9月太白が歳星を犯す。10月熒惑が太微に入る。元嘉28年5月彗星が卷舌に現れ太微に入り帝座に迫り上相を犯し屏を払い端門を出て翼軫(荊州の分野)で消える。太白が昼に見え哭星を犯す。30年太子の巫蠱呪詛の事が発覚し朝臣が殺害され、孝建元年荊江二州が反して悉く夷滅した。卷舌は呪詛の象で、彗星が起こったところがその応であった。
- 元嘉29年(452年)正月、太白が昼に見え天を経る。翌年東宮の弑逆が起こった。
孝武帝の代(孝建・大明年間)
- 孝建元年(454年)2月、月ほどの大きさの流星が西行する。この年豫州刺史魯爽が反し誅された。
- 孝建元年9月壬寅、熒惑が左執法を犯す。尚書左僕射建平王宏が解職を表するも許されなかった。
- 孝建元年10月乙丑、熒惑が進賢星を犯す。吏部尚書謝荘が解職を表した。
- 孝建2年(455年)5月乙未、熒惑が南斗に入る。10月甲辰また南斗に入る。大明元年夏京師に疫病が流行した。
- 孝建3年(456年)4月戊戌、太白が輿鬼を犯す。占では民に疾病が多いとされ、翌年夏京邑に疫病が流行した。
- 孝建3年8月甲午、太白が心に入る。占では9年後に大飢饉ありとされ、大明8年東土が大飢饉となり民の死者は十に二、三に及んだ。
- 大明元年(457年)3月癸亥、太白が奎の南で歳星を犯す。占では諸侯を滅ぼす者ありとされ、3年司空竟陵王誕が反して誅された。
- 大明元年6月丙申、月が東壁で熒惑を掩す。占では将軍に憂いあり期は3年を出ずしてとされ、3年に至り司空竟陵王誕が反した。
- 大明2年(458年)3月辛未、熒惑が東井に入る。4月己亥熒惑が東井にあり北軒轅第二星を犯す(井は雍州の分野)。この年4月海陵王休茂が雍州刺史となり、5年休茂は反して誅された。
- 大明2年7月己巳、月が軒轅第二星を掩す。10月辛卯月が軒轅を掩す。11月丙戌月がまた軒轅を掩す。軒轅は女主を表し、民間では人主が帷薄を修めないと言い触らした。
- 大明2年11月庚戌、熒惑が房及び鉤鈐を犯す。壬子熒惑がまた鉤鈐を犯す。占では兵ありとされ、この年索虜が歴下に寇し羽林軍を遣わし討ち破った。
- 大明3年(459年)春正月夜、天を通して薄雲があり四方に赤気が生じ長さ3、4尺で見え隠れしまもなくみな消えた(隧星、または刀星と呼ばれ天下に兵戦・流血ありとされる)。月が太微に入り次将を犯す。占では反臣ありて死し将が誅されるとされる。3月月が房にあり鉤鈐を犯し蝕を伴う。占では人主がこれを憎み将軍が死ぬとされる。3月土星が牽牛を守る。占では大人に憂い・疾病あり兵が起こり大赦あり姦臣賊子が主を殺そうと謀るとされる。4月五諸侯を犯す。占では諸侯が誅されるとされる。金水が西方で合する。占では兵が起こるとされる。5月歳星が東井鉞を犯す。占では斧鉞が用いられ大臣が誅されるとされる。6月月が南斗に入る。占では大臣・大将軍が誅されるとされる。南兗州刺史竟陵王誕がほどなく広陵に拠って反し、車騎大将軍沈慶之に羽林の精兵及び豫州刺史宗慤・徐州刺史劉道隆の軍を率いさせて攻戦、城を屠り城内の男女道俗を梟斬し余す者なく、将軍宗越はもっぱら虐刑を用い、まず腸を刳り眼を決り、あるいは面を笞ち腹を鞭ち酒を灌いで傷を苦しめてから刀鋸を加えた。これは大兵の応であった。8月月が太白を犯し太白が房を犯す。占では人君に憂いあり天子これを憎むとされる。熒惑が畢を守る。占では万民が飢え大兵ありとされる。9月太白が南斗を犯す。占では大臣に反する者があるとされる。9月月が胃にあって蝕を尽くし、また昴で熒惑を犯す。占では兵が起こり女主がこれに当たり人主がこれを憎む、あるいは女主に憂いあり国王が死に民が飢えるとされる。10月太白が哭星を犯す。占では人主に哭泣の声ありとされ、以後六宮に喪が多く公主が次々に薨去し天子が哀悼を繰り返し、歳は大旱で民は飢えた。
- 大明4年(460年)正月、月が氐を掩す。占では大将が死ぬとされる。また房北第二星を犯す。占では乱臣がその主を謀るとされる。2月赤気が長さ1尺余り太白帝坐の北に現れる。占では兵が起こり臣がその君を謀ろうとするとされる。5月月が太微に入る。占では反臣あり大臣が死ぬとされる。6月太白が井鉞を犯す。占では兵が起こり斧鉞が用いられ大臣が誅されるとされる。月が心前星を犯す。占では乱臣あり太子これを憎むとされる。月が南斗魁中に入る。占では大人に憂いあり女主これを憎むとされる。7月歳星が積尸を犯す。占では大臣が誅されるとされる。12月月が心中央大星を犯す。占では大人に憂いありとされる。12月天を通して雲があり西及び東北がともに生じ8か所で合し、いずれも長さ4尺で見え隠れしまもなく消え尽きた。占では天下に兵ありとされる。12月月が箕東北星を犯す。占では女主これを憎むとされ、翌年雍州刺史海陵王休茂が反し、太白が東井を犯したのは雍州の兵乱の応であった。
- 大明5年(461年)正月、歳星が輿鬼・積尸を犯す。占では大臣が誅され主に憂いあり財宝が散じるとされる。月が南斗魁中に入る。占では大人に憂いあり天下に兵ありとされる。火土がともに須女にある。占では女主これを憎むとされる。3月月が軒轅を掩す。占では女主これを憎むとされる。流星が数千万あり長短大小さまざまに西行し明け方まで止まなかった。占では人君これを憎み民が流亡するとされる。4月太白が東井北轅を犯す。占では大臣が乱をなし斧鉞が用いられるとされる。太白が輿鬼を犯す。占では大臣が誅され斧鉞が用いられ人主に憂いありとされる。6月甌ほどの大きさの白色の流星が王良から出て西南行し天市中で消え尾は長さ数十丈、消えた後も余光がしばらく残った。占では天下乱れるとされる。8月熒惑が東井に入る。占では大臣がこれに当たるとされる。10月歳星が太微上将星を犯し太白が亢に入り南第二星を犯す。占では上将に憂いあり輔臣に誅される者あり人君これを憎むとされる。10月太白が氐中に入り熒惑が井中に入る。占では王者が地を失い大赦あり兵が起こり飢饉となるとされる。月が太微に入り西蕃上将を掩し歳星を犯す。占では反臣あり死ぬとされる。斗ほどの大きさの大星が柳から出て北行し尾は10余丈で紫宮に入って消え、その後も余光がしばらく残った。占では天下に凶あり兵喪あり天子これを憎むとされる。11月月が心前星を掩しまた大星を犯す。占では大人に憂いあり兵が起こり大旱となるとされる。12月太白が西建中央星を犯す。占では大臣が相い譖するとされる。月が左角を犯す。占では天子これを憎むとされる。後の3年、孝武帝と文穆皇后が相継いで崩じ、嗣主が即位して1年で宰輔を誅滅し将相を虐戮し禍いは宗室に及び、ついに自らも害を受けた。
- 大明6年(462年)正月、月が張で歳星を犯す。占では民が飢え流亡するとされる。月が心後星を犯す。占では庶子これを憎むとされる。2月月が左角を掩す。占では天子これを憎むとされる。3月熒惑が輿鬼に入る。占では兵あり大臣が誅され天下に疾疫が多いとされる。5月月が張にありまた太微に入り熒惑を犯す。占では国主不安女主に憂いありとされる。火が木を犯し翼にある。占では飢饉・旱魃あり近臣・大臣が主を謀るとされる。前が赤く後が白い甌ほどの大きさの星があり尾は長さ10余丈、東壁北から出て西行し天市で消えしゅうしゅうと音がした。占ではその下に兵あり天下が乱れるとされる。月が昴七星を掩す。占では貴臣が誅され天子が匈奴を破り胡主が死ぬとされる。歳星が上将を犯す。占では輔臣が誅され上将に憂いありとされる。6月月が太微に入り右執法を犯す。占では人主不安天下大いに驚き主が不吉で執法者が誅されるとされる。月が心後星を犯す。占では庶子これを憎むとされる。7月月が箕を犯す。占では女主これを憎むとされる。8月月が南斗魁中に入る。占では大臣が誅され斧鉞が用いられ呉越に憂いありとされる。翌年揚・南徐州が大旱で田穀が収まらず民が流亡した。以後3年、帝と后が次々に崩じ宰輔及び尚書令僕が誅戮され索虜の主が死に新安王兄弟が害を受け司徒豫章王子尚が薨じ、羽林兵が三呉に入って叛逆を討った。
- 大明7年(463年)正月夜、天を通して薄雲があり四方に8つの気が合し蒼白色で長さ2、3丈、見え隠れした(刀星と呼ばれ天下に兵ありとされる)。3月月が心後星を犯す。占では庶子これを憎むとされる。4月火が金を犯し婁にある。占では喪あり兵あり大戦ありとされる。6月月が箕を犯す。占では女主これを憎むとされる。太白が東井に入る。占では大臣がこれに当たるとされる。太白が東井を犯す。占では大臣が乱をなし斧鉞が用いられるとされる。7月熒惑が東井に入る。占では兵が起こり大将がこれに当たるとされる。月が南斗魁に入り第二星を犯す。占では大人に憂いあり呉郡がこれに当たるとされる。太白が輿鬼を犯す。占では兵が起こり大将が誅され人主に憂いあり財帛が出入りするとされる。月が哭星の中間に入り、太白が軒轅少民星を犯す。占では人主に憂いあり哭泣の声あり民が飢え流亡するとされる。太白が太微に入る。占では近臣が兵を起こし国が不安になるとされる。熒惑が鬼を犯し太白が右執法を犯す。占では大臣が誅されるとされる。10月金水が相い犯す。占では天下が飢えるとされる。熒惑が軒轅第二星を守る。占では宮中に憂いあり哀ありとされる。11月歳星が氐に入る。占では諸侯・人君に宮に入る者があるとされる。12月月が五車を犯す。占では天庫の兵が動くとされ、後の2年帝と后が崩じ大臣・将相が誅滅され皇子が害を受け皇太后が崩じ四方に兵が起こり諸軍を分遣して外で鋒を推し討伐した。
- 大明8年(464年)正月、月が輿鬼を掩す。占では大臣が誅されるとされる。月が南斗魁中に入り第二星を掩す。占では大人に憂いあり女主これを憎むとされる。2月月が南斗第四星を犯し魁中に入る。占では大人に憂いあり女主がこれに当たり豫章が災いを受けるとされる。4月月が南斗魁中に入り第三星を犯す。占では大人に憂いあり女主これを憎み丹陽がこれに当たるとされる。太白が東井に入り太微に入って執法を犯す。占では執法者が誅され近臣が兵を起こし国が不安になるとされる。6月歳星が氐を犯す。占ではこの年大飢饉ありとされる。5斗の甌ほどの大きさの赤色の流星があり光が人の顔を照らし尾は長さ1丈余、参の北から東行し真下に東井を経て南河を過ぎて消えた。占では民が飢え呉越に兵ありとされる。7月歳星が氐に入る。10月太白が房を守る。占では兵あり大喪ありとされる。月が房を掩し蝕する。占では喪あり大飢饉ありとされる。この後国にはなお大喪が続き、丹陽尹顔師伯・豫章王子尚が死に、翌年昭太后が崩じ、四方の賊が起こり王師が水陸で征伐、義興・晋陵県で大戦し殺傷は千を数えた。
前廃帝の代(永光・景和年間)
- 永光元年(465年)正月丁酉、太白が牽牛を掩す(牽牛は越の分野)。この月庚申月が虚宿で太白を犯す(虚は斉の地)。2月甲申月が南斗に入る(南斗は揚州の分野でまた貴臣にも当たる)。3月庚子月が輿鬼に入り積尸を犯す(輿鬼は斬戮を主る)。6月庚午熒惑が東井に入る(東井は雍州の分野)。この月壬午前が赤く後が白い大流星が紫宮に入った。
- 景和元年(465年)9月丁酉、熒惑が軒轅に入り女主大星の北にある。10月熒惑が太微に入り西上将を犯す。11月丁未太白が哭星を犯す。この月乙卯月が心を犯す(心は天王を表す)。この年太宰江夏王義恭・尚書令柳元景・尚書僕射顔師伯らが並んで誅され、太尉沈慶之が薨じ、廬陵王敬先・南平王敬猷・南安侯敬淵が並んで賜死され、廃帝も殞じた。翌年会稽太守尋陽王子房・広州刺史袁曇遠・雍州刺史袁顗・青州刺史沈文秀が並んで反し、昭太后が崩じた。
明帝の代(泰始年間)
- 泰始元年(465年)12月己巳、太白が羽林に入る。占では羽林の兵が動くとされ、乙亥白気が紫宮に入る。占では喪事ありとされ、翌年羽林の兵が出て討伐、昭太后が崩じた。
- 泰始2年(466年)正月甲午、熒惑が逆行し屏の西南にある。占では兵が中にあるとされる。この月丙申月が暈をなし五車から畢昴を通す。占では女主これを憎むとされる。この月庚子月が輿鬼を犯す。占では将軍が死ぬとされる。この月甲寅流星が五車から出て紫宮西蕃に至って消える。占では兵ありとされる。この月丙辰黒気が宿を貫く。占では王侯に骨を故郷に帰す者があるとされる。3月乙未流星が大小さまざま西行し数えきれず明け方にようやく止んだ。占では民が流亡する象とされる。4月壬午熒惑が太微に入り右執法を犯す。月が丙子にあり歳星が南斗の度中で昼に見える。占ではその国に軍容あるも大敗するとされる。この月己卯竟夜(夜通し)流星が百余、西南行し、うち1つは甌ほどの大きさで尾は長さ1丈余、黒色で河鼓から出た。占では兵ありとされる。この月壬午太白が月の南にありともに東方に出て犯をなす。占では軍を破り将を死なせ王者が地を失うとされる。7月甲午月が心を犯す(心は宋の地)。この月丙午月が南斗を犯す。占では大臣が誅されるとされる。この月乙卯熒惑が氐を犯す(氐は兗州の分野)。10月辛巳太白が氐に入る。占では春に穀が貴くなるとされる。11月癸巳太白が房を犯す。占では牛が多く死ぬとされる。この年四方が反叛し内兵が大出、六師が親征し昭太后が崩じ、大将殷孝祖が南賊に殺され、尚書右僕射蔡興宗は熒惑が右執法を犯したことを理由に解職を自ら乞うも許されなかった。9月諸方の反者はみな平定されたが帰降した者も多く、後に淮北四州の地を失い彭城・兗州はいずれも虜に没した。民の流亡はその験であり、彭城は宋の分野である。この春穀が貴くなり民が飢え、翌年牛が多く疾病で死んだので詔して太官に牛を宰るのを停めさせた。
- 泰始3年(467年)6月甲辰、月が東井を犯す。占では軍将が死ぬとされる。熒惑が輿鬼を犯す。占では金銭が散じる、また60日を出ずして必ず大赦あるとされる。8月癸卯天子は皇后・六宮の衣服・金釵など雑物を北征の将士に賜った。翌年2月護軍王玄謨が薨じた。
- 泰始4年(468年)6月壬寅、太白が輿鬼を犯す。占では民が大いに疾病で死に葬られないとされ、この年天下に大疫が流行した。
- 泰始5年(469年)2月丙戌、月が左角を犯す。占では3年後に天子これを憎むとされる。3月庚申月が建星を犯す。占では相が易わるとされる。10月壬午月が畢を犯す。占では天子が法を用い誅罰を急ぎ貴人に死者があるとされる。この月丙申太白が亢を犯す。占では兵を収斂し北方に備えるとされる。この年冬建安王休仁が揚州を解かれ桂陽王休範が揚州となり、揚州牧は前後常に宰相がこれに居たので、相が易わったことの験であった。7年晋平王休祐・建安王休仁が並んで殺され、当時淮北を失い戍を立てて北虜に備えていたが、その後3年で宮車晏駕した。
- 泰始6年(470年)正月辛巳、月が左角を犯す。占は前と同じ。8月壬辰熒惑が南斗を犯す(南斗は呉の分野)。11月乙亥月が東北轅を犯す。占では大人がこれに当たる、あるいは大臣に誅される者があるとされ、2年後揚州刺史王景文が殺され宮車晏駕した。
後廃帝の代(元徽年間)
- 元徽3年(475年)7月丙申、太白が角に入り歳星を犯す。占では角は天門で国に兵事あるとされる。角における太白と木星の会は軍を外で殺し将を破るとされる。この月丁巳太白が氐に入る(氐は天子の宿宮で太白は兵凶の星)。8月己巳太白が房北頭第二星を犯す。占では王が徳を失うとされる。9月癸卯太白が南斗第二星を犯す。占では大人がこれに当たり国の政が易わるとされる。10月丙戌歳星が氐に入る。占では諸侯・人君に宮に入って来る者があるとされる。11月庚戌月が太微に入り屏西南星を奄す。占では貴者が勢いを失うとされる。4年7月建平王景素が京口に拠って反したが、この時廃帝は凶悪で節度がなかった。5年7月廃帝が殞じ安成王が皇位を継ぎ、3年後斉が禅を受けた。
- 元徽4年(476年)3月乙巳朔、月が房北頭第一星を犯し進んで鍵閉星を犯す。占では謀りがあり甲兵が宗廟の中に伏せ天子が宮を出られず堂を下って多く暴事あるとされる。9月甲辰填星が太微西蕃を犯す。占では王を立てる、あるいは王を徙す、また大人に憂いありとされる。当時廃帝は出入に節度がなく、ついにこれによって殞じ安成王が立てられた。
- 元徽5年(477年)正月戊申、月が南斗第五星を犯す。前と同じ占。4月丁巳熒惑が輿鬼西北星を犯す。占では大人に憂いあり近くは60日遠くは6か月を期すとされ、また人君これを憎むともいう。この月丙子太白が輿鬼西北星を犯す。占では大赦ありとされる。5月戊申太白が昼に見え正午の光が異常に眩しい。占では姓が更まるとされる。6月壬戌月が鉤鈐星を犯す。占では大令ありとされる。この月乙丑月が南斗第四星を犯す。前と同じ占。7月廃帝が殞じ天下に大赦、2年後斉が禅を受けた。
順帝の代(昇明年間)
- 昇明元年(477年)8月庚申、月が南斗に入り第三星を犯す。前と同じ占。9月丁亥太白が翼にあり昼に見え天を経る。占では姓が更まるとされる。閏12月癸卯夜、月が南斗第四星を掩す。前と同じ占。