宋書卷十三 志第三 歴下
元嘉暦の法数
元嘉暦法の上元は庚辰甲子紀首より太甲元年癸亥まで3523年、元嘉二十年癸未まで5703年(算外)。主要な法数は次のとおり。 - 元法3648 章歳19 紀法608 章月235 紀月7520 章閏7 紀日222070 度分75 度法304 - 氣法24 餘數1595 歳中12 日法752 没餘36 通數22207 通法47 没法319 - 月周4064 周天111025 通周20721 周日日餘417 周虛335 會數160 交限數859 會月929 朔望合數80
六紀の遅疾差・交會差は、甲子紀第一(遲疾差17663・交會差877)、甲戌紀第二(遲疾差3043・交會差279)、甲申紀第三(遲疾差9144・交會差621)、甲午紀第四(遲疾差15245・交會差22)、甲辰紀第五(遲疾差625・交會差363)、甲寅紀第六(遲疾差6726・交會差704)。
推朔・推閏・推気の法
入紀・積月・朔・弦望・二十四気・閏月を求める算法を定める。次月を求めるには大餘29・小餘399を加え、小餘が日法を満たせば大餘に繰り上げる(小餘353以上ならその月は大の月)。弦望は朔の大餘に7・小餘287・小分3を加えて上弦とし、さらに加えて望・下弦を得る。二十四気は入紀年数に餘數を掛けて度法304で積没を求め、次気は大餘15・小餘66・小分11を加える。閏月は閏餘を章歳から引き、歳中を掛けて章閏で割った数から正月起算で閏の位置を定める(中気の無い月を閏とする)。
二十四節気の限数・間数(各節気につき限数/間数の順)は次のとおり。 立春194/190、雨水186/182、驚蟄177/172、春分167/162、清明158/154、榖雨149/145、立夏142/139、小滿136/134、芒種133/132、夏至131/132、小暑133/134、大暑136/139、立秋142/145、處暑149/153、白露157/162、秋分167/172、寒露177/182、霜降186/190、立冬194/197、小雪203/200、大雪205/206、冬至207/206、小寒205/203、大寒297/100(原文のまま。大寒の限数297は他条と均衡を欠くが底本の記載どおり)。
推没滅術・推土用事法
雨水の積分に没餘を掛け没法319で割り、大餘・小餘を求めて雨水前後の「没日」を定める(没日には多寡があり、小餘が尽きれば「滅日」となる)。土用事日は立春の大小餘から大餘18・小餘79・小分18を減じて求め、立夏・立冬もこれに準じる。
日月の所在度・合朔月食の法
日の所在度は度法をもって朔積度を割り、室宿二度を起点として求める。月の所在度は月周を用い、大の月は度22・分133、小の月は度25・分245を加える。合朔・月食は、会数160を積月に掛け、交会紀差(各紀ごとに異なる。甲寅紀は22)を加えて会月929で割り、その年正月朔の去交分を求める。入遅疾暦は所求年朔積分に遅疾差(甲寅紀は15245)を加え通周20721で割って求める。合朔・月食の定大小餘は、入暦日餘に損益率を乗じて盈縮積分を求め、これで朔望の小餘を加減して定める。加時は定小餘に12を乗じ日法で割って辰を定め、さらに細分して強・弱等の単位で表す。
月行遅疾度・損益率・盈縮積分(28日分)
一日14度13分・益70・盈初5304/二日14度11分・益65・盈1842316,5270/三日14度8分・益57・盈3550706,5219/四日14度4分・益47・盈5058300,5151/五日13度21分・益34・盈6297857,5066/六日13度17分・益22・盈7202691,4981/七日13度11分・益6・盈7772111,4879/八日13度5分・損9・盈7940952,4777/九日12度22分・損24・盈7707415,4675/十日12度16分・損39・盈7072100,4573/十一日12度11分・損52・盈6035007,4488/十二日12度8分・損60・盈4663100,4437/十三日12度6分・損65・盈309303,4403/十四日12度4分・損70・盈1383580,4369/十五日12度5分・益67・縮457069,4386/十六日12度7分・益62・縮2230755,4420/十七日12度10分・益55・縮3870054,4471/十八日12度14分・益44・縮5319385,4539/十九日12度19分・益32・縮6480404,4624/二十日13度1分・益19・縮7316608(差法欠)/二十一日13度7分・益4・縮7817996,4811/二十二日13度13分・損11・縮7917607,4913/二十三日13度19分・損27・縮7615440,5015/二十四日14度1分・損39・縮6901495,5100/二十五日14度16分・損52・縮5872735,5185/二十六日14度10分・損62・縮4499159,5253/二十七日14度12分・損67・縮2857732,5287/二十八日14度10分・損74・縮1082379,5331。
五星の推算法(元嘉暦)
木星は合歳344・合數315・日度法95760・室分23625、火星は合歳459・合數215・日度法65360・室分16125、土星は合歳383・合數370・日度法112480・室分27750、金星は合歳267・合數167・日度法50768・室分12525、水星は合歳79・合數249・日度法75696・室分18675。木星の後元丙戌は晉咸和元年、火星の後元乙亥は元嘉十二年、土星の後元甲戌は元嘉十一年、金星の後元甲申は晉太元九年、水星の後元乙丑は元嘉二年で、いずれも元嘉二十年癸未に至るまでの年数を算上して合を求める。木星は初と日の合で伏16日、日餘41780、行2度、餘77847半で東方に見え、以後順行・留・逆行・留・順行を経て398日で一終する。火星・土星・金星・水星についても同様に、伏日・行度・留日数・逆行度・順行度・一終の日数と度数がそれぞれ精細に定められている(火星は一終779日、土星は一終378日、金星は一終583日、水星は一終115日)。
元嘉二十年 何承天による漏刻改革
元嘉二十年、何承天は「元嘉暦への改暦に伴い漏刻の制も改めるべきだ」と奏上した。景初暦以来の漏刻は春分と秋分で日の長短の扱いに矛盾があり、冬至前後で昼漏の長短の増減が急で理に合わないと指摘し、二至二分を正しく定めた上で漏刻を改定し、二十五箭の制を新たに採用するよう求めた。太史に漏刻の考験を命じるよう請い、詔でこれを許可した。
月行九道をめぐる議論
前代の学者は月に九道(青道二・白道二・黒道二・赤道二など)ありとする説を唱えたが、実際に運行を検すると遅疾が入り交じり道筋どおりにいかない。劉向の九道論(方位ごとに色を配する説)も引かれるが、実際には日の運行する黄道に対し、月は陰精のため黄道の内外を出入りし、その差は6度を超えない。13日余りで出て、また13日余りで入り、27日で一巡し、黄道と交わるところで日食となる。漢の劉洪が月行を推算し「陰陽暦」の法を作り、元嘉二十年、太祖は著作令史の呉癸に劉洪の法によって新術を作らせ、太史に施行させた。
元嘉暦 月行陰陽法
陰陽暦の損益率・兼数は、一日益17(初)、二日益16(兼数17)、三日益15(33)、四日益12(48)、五日益8(60)、六日益4(68)、七日益1(72)、八日損2(73)、九日損6(71)、十日損10(65)、十一日損13(55)、十二日損15(42)、十三日損16(27)。分日2685半・損16大(大は5371分の3472)で、暦周55517半。差率10190、微分法1878。入陰陽暦を推す術・夜半入暦を推す術・朔弦望の定数を推す術・月の去黄道度を推す術などが定められている。
大明六年 祖沖之の上表(改暦の建議)
大明六年、南徐州從事史の祖沖之は上表し、「古暦は疎く精密を欠き、何承天の元嘉暦も法が簡略で今日すでに天象と乖離している。日月の所在に約3度の誤差、二至の晷影にほぼ1日の誤差、五星の見伏には最大40日・二宿の誤差がある」と指摘した。改暦の要点として「章法を19年7閏から391年144閏に改める」「唐の冬至の位置を考証し、上元の日度を虚宿一度から起こす」「上元の歳を甲子とする」「日月五星の交会遅疾をすべて上元歳首を起点とする」等を挙げ、詳細な議論を展開した。
大明暦の法数
上元甲子から宋の大明七年癸卯まで51939年(算外)。元法592365、紀法39491、章歳391、章月4836、章閏144、閏法12、月法116321、日法3939、餘數207044、歳餘9589、没分3605951、没法51761、周天14424664、虛分10449、行法分22、小分法1717、通周726810、會周717777、通法26377、差率39。
大明暦 推朔・推閏・推気・推没・推日月所在度の法
上元年数を章月で掛け章歳で割って積月・閏餘を求め、月法・日法で積日・小餘を求め、大餘を六旬で割って天正十一月朔を定める(小餘1849以上でその月は大)。次月は大餘29・小餘2090を加える。閏は閏餘を章歳から引き閏法で割って月を定める。二十四気は餘數を紀法で割り、次気は大餘15・小餘8626・小分5を加える。土用事は冬至の大餘に27・小餘15528を加えて季冬の土用事日、さらに大餘91・小餘12270を加えて次の土用事日とする。没術は90を冬至小餘に掛け没分から引いて没法で割る。次没は日69・日餘34442を加える。日の所在度は紀法を朔積日に掛け周天を引いて虚宿一度を起点に求め、大の月は度30、小の月は度29を加える。月の所在度も同様に朔小餘に124・860を掛けて求める。
大明暦 遅疾暦・陰陽暦
遅疾暦は一日14度13分・益70から始まり、二十八日14度10分・損74で一巡する(数値は元嘉暦とほぼ同型だが法数が異なる)。陰陽暦の損益率・兼数は一日益16(初)、二日益15(16)、三日益14(31)、四日益12(45)、五日益9(57)、六日益5(66)、七日益1(71)、八日損2(72)、九日損6(70)、十日損10(64)、十一日損13(54)、十二日損15(41)、十三日損16(26)、十四日損16(10)。交數358888半をもって朔入陽暦分・入陰暦分を求める。
大明暦 二十四氣日中影・晝夜漏刻・昏明中星
冬至の日中影は一丈三尺、晝漏45刻・夜漏55刻、昏中星82(行分120)、明中星283(行分8)。以下、小寒・大寒・立春・雨水・驚蟄・春分・清明・榖雨・立夏・小滿・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・處暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪の各節気について日中影の尺寸、晝漏刻・夜漏刻、昏中星・明中星の度数が精密に定められている(夏至は影一尺五寸・晝漏65刻・夜漏35刻で最短、冬至が最長)。
大明暦 推五星術
木率15753082、火率30804196、土率14930354、金率23060014、水率4576204。木星は初と日の合で伏16日・餘17832、行2度・餘37504で東方に見え、順行・留・逆行・留・順行を経て一終398日・餘35664・行33度・餘25215。火星は伏72日・餘608、行55度・餘28865で一終780日・餘1216・行414度・餘30258(一周を除いた定行は49度・餘19809)。土星は伏17日・餘1378、行1度・餘19333で一終378日・餘2756・行12度・餘31798。金星は伏39日・餘38126、行49度・餘38126で西方に夕見し、一終583日・餘36761(定行218度・餘26313、一合291日・餘38126)。水星は伏14日・餘37115、行30度・餘37115で西方に夕見し、一終115日・餘34739(一合57日・餘37115)。上元甲子の歳、天正甲子朔夜半冬至に日月五星は虚宿の初度に集まり、陰陽遅疾もこれより始まるとする。
戴法興と祖沖之の暦論争
世祖はこの新暦(大明暦)の可否を内外に議論させたが、暦数を理解する者は少なく異同の判定がつかなかった。ひとり太子旅賁中郎將の戴法興が沖之の暦法に反対し、六条にわたって批判した。
- 歳差:法興は「二至の南北の極は日に恒度があり宿の位置は動かない、古暦の冬至はみな建星にある」と主張。沖之は、古暦は戦国以来乱れ、黄帝暦・顓頊暦等に矛盾が多く、景初暦以来ようやく精密になったこと、書経「日短星昴」の記述は南面する人君の視点であって恒星の位置を固定する根拠にならないことを論じ、法興の説を退けた。
- 章法:法興は「19年7閏の古法は改めるべきでない」としたが、沖之は自らの実測晷影に基づき冬至の日を精密に計算し直したもので、391年144閏の方が精密であると反論した。
- 上元の起点(虚宿一度):法興は「冬至が虚宿にあるなら黄道は北東に大きく偏り不合理」と論じたが、沖之は分至の移動と星次の対応は別問題であるとして反論した。
- 上元の歳が甲子であること:法興は「甲子に固執するのは天に合わせるための後付けだ」としたが、沖之は黄帝暦の辛卯・顓頊暦の乙卯・景初暦の壬辰・元嘉暦の庚辰などいずれも朔や晦に誤差がなかったとし、甲子を用いることも同様に理にかなうと反論した。
- 交会遅疾を上元歳首に一本化すること:法興は「交会の元は食を求めうるが遅疾の際は測りがたい」と難じたが、沖之は諸暦がそれぞれ後元を設けるのは省力のためであり、自らの暦は理を尽くしたものだと反論した。
- 月行の遅疾陰陽の数:法興は「日の八行と月の九道の一終の日数は同じであるべきだ」としたが、沖之はこれを根拠薄弱として退けた。
沖之はさらに、元嘉十三年・十四年・二十八年・大明三年の四度の月食の記録を挙げ、自らの暦法による日の所在(衝の位置から逆算した宿度)が実測と符合し、法興の説では十度ほどの誤差が生じることを示し、精密さを実証した。
論争は詳細をきわめたが、時に戴法興は世祖の寵臣で権勢があり、朝議の多くが法興に同調するなかで、ひとり中書舎人の巢尚之のみが沖之の説を支持した。世祖は新奇を好み沖之の新暦を採用しようとし、翌年(大明九年)の改元を機に改暦する予定であったが、施行に至らないまま崩御した。