周書卷四十七 列傳第三十九 黎景熙

黎景熙

  • 黎景熙、字は季明。河間鄚の人。祖の嶷は魏太武帝時平凉討伐の功で容城県男・鷹揚将軍、後燕郡守、祖の鎭は員外散騎侍郎襲爵、父の瓊は魏縣令から鄜城郡守。季明は好学だが応対の才には欠け、従祖の廣は魏太武帝時尚書郎で古学に通じ吏部尚書崔𤣥伯・司徒崔浩に字義・楷篆を学び、その法を家伝、季明も学び許氏の説とは異なる独自の解釈を持った。占玄象・術数も好み落魄して生業に就かず千余巻の書を持ち貧窮でも操を変えなかった。范陽盧道源と莫逆の友となり、永安中出仕を勧められ威烈将軍から起家、魏孝武帝初鎮遠将軍・歩兵校尉。孝武帝西遷で伊洛に寓居、侯景の河外遠征に召され銀青光祿大夫・中軍将軍・行臺郎中・黎陽郡守、景の頼りなさを見て懸瓠から潁川に去り隠遁を望んだが王思政に召され内館に留められ、太祖にも徴され関中入り、東閣で古今文字を正定、大統末安西将軍・著作佐郎。同輩が高位で華美な中貧素で職務に励んだが専固な性格で十年不遇だった。魏恭帝元年平南将軍・右銀青光禄大夫、六官制で外史上士、孝閔帝践阼で征南将軍・右金紫光禄大夫、賀蘭祥の吐谷渾討伐に従軍、驃騎将軍・右光禄大夫、武成末外史下大夫。保定三年旱害への上書で成湯・宣王の故事を引き土木の濫用や政令の失を戒め、春秋の記述(荘公三十一年・僖公二十一年・漢惠帝・漢武帝の例)を挙げ役民の停止を進言。豪富の奢侈への上書では帝王の寛大と率先垂範を説き、文帝(漢文帝)の質素を例に朱紫・綺縠の奢侈を戒め、選挙の公正も併せて進言、帝はこれを嘉した。外史の官署が定まらぬことも上言し官署が建てられた。天和三年車騎大将軍・儀同三司、後病で卒した。