周書卷四十六 列傳第三十八 荆可

荆可

  • 荆可、河東猗氏の人。質朴な性格で常人と異なる容止があり、苦労を厭わず母を養い時に応じて甘旨を欠かさなかった。母の喪では三日水漿を絶ち哀号し何度も気絶し、葬後は墓側に廬し土を負い墳を築き蓬髪不櫛、菜食水飲のみで過ごした。荆家の旧墓域は広大で榛蕪深く家から十余里離れていたが、可は独りそこに宿り禽獣と雑処し、遠近から哀感された。大統中郷人が可の孝行を朝廷に上言し太祖は州県に表彰させ、喪明け後も喪中のように過ごした。大冢宰晉公護が可の孝行を聞き引見し、護自身も至孝で母閻氏が敵境で行方知れずとなっていたため可の至性に感じ入り、可の死後もその純孝を思い妻子を京城に収め衣食を給し続けた。