周書卷四十六 列傳第三十八 杜叔毗

杜叔毗

  • 杜叔毗、字は子弼。京兆杜陵の人で襄陽に移住。祖の乾光は齊司徒右長史、父の漸は梁邊城太守。早くに父を喪い母に孝を尽くし慷慨の志節あり左氏春秋に精通、梁に仕え宜豐侯蕭循の府中直兵参軍。大統十七年逹奚武の漢州経略に伴い翌年南鄭で循を包囲、循の命で叔毗が和議を請いに赴き太祖に礼遇されたが、その間循の中直兵参軍曹策・劉曉が城の降伏を謀り、叔毗の兄君錫(循の中記室参軍)とその子映・晰は策らに嫉まれ謀叛の誣告で殺害された。循は策らを討ち曉を斬るも策は循の降伏に伴い長安に至り、叔毗は朝夕号泣し冤罪を訴えたが朝廷は帰附以前の事として不問とした。叔毗は復讐を志すも朝憲に背き母に及ぶことを恐れ躊躇したが、母は「汝の兄の惨禍は骨髄に徹する痛み、策が死ねば私も死んでよい」と後押しし、叔毗は白昼手ずから策を京城で斬り腹を割き肢体を解いた上で自ら縛につき処刑を請うた。太祖はその志気を嘉し赦免、都督・輔国将軍・中散大夫。母憂で哀毀骨立、晉公護が中外府樂曹参軍に招き大都督、使持節・車騎大将軍・儀同三司・義歸郡守。兄君錫らの柩がなお梁州に残されていたため表を上げ迎葬を願い髙祖が許可、田宅を賜与、陜州刺史。天和二年衛国公直の南討に従い軍敗れ陳軍に捕らわれ、降伏を拒み節を曲げず害された。子の廉卿。