出自と生涯
- 皇甫璠、字は景瑜。安定三水の人で、世々西州の著姓、のち京兆に移り住んだ。父和は本州治中で、大統末に散騎常侍・儀同三司・涇州刺史を追贈された。璠は少にして忠謹幹略があり、永安中州都督に辟され、太祖が牧となると主簿に補され勤事を知られてしばしば褒賞を蒙った。大統四年丞相府行参軍に引かれ、田曹参軍・東閤祭酒に転じ散騎侍郎を加えられ、太常少卿・都水使者を兼ね、蕃部・兵部・虞部・民部・吏部等の諸曹郎中を歴任した。六官が建てられると計部下大夫を拝し、孝閔帝踐阼で守廟下大夫に転じ、東道大使として州防を撫巡し、車騎大将軍・儀同三司を加えられ長楽県子・食邑五百戸に封ぜられた。玉璧総管府長史に出、保定中鴻州刺史に遷り、小納言に入り、俄かに隴右総管府司馬に除され、陝州総管府長史に転じ、蕃部中大夫に召されて驃騎大将軍・開府儀同三司に進み、また隴右総管府長史に出た。璠は平和・小心の性で奉法安分、常に清白を保ち当時「善人」と号された。建徳元年民部中大夫に除され、三年随州刺史を授けられ政は簡恵で百姓これに安んじ、同年食邑通算二千戸を増された。六年官位のまま卒。交・渭二州刺史を贈られ諡は恭。子の諒は少にして名を知られ大象中に吏部下大夫に至った。