出自と生涯
- 梁昕、字は元明。安定烏氏の人で、世々関中の著姓。先祖は官により京兆盩厔に移り住んだ。祖重耳は漳県令、父勧は儒州主簿・冠軍将軍・中散大夫で涇州刺史を贈られた。昕は少にして温恭と称され州里に重んじられた。正光五年(524年)秦隴で乱が起こると、蕭宝寅が大都督として討伐に出た際、昕は行台参軍とされた。孝昌初、盪寇将軍を拝し驤威将軍・給事中に遷った。宝寅に従い万俟醜奴を征し二年にわたり数十戦、功により征西将軍に封ぜられた。爾朱天光の入関後は外兵参軍に引かれ、天光の征討に従い右将軍・太中大夫を拝した。太祖が魏孝武帝を迎える軍が雍州に至った際、昕は三輔の望族として太祖に謁し、太祖はその容貌の瓌偉さに深く賞異し、右府長流参軍を授けた。大統初、鎮南将軍・金紫光禄大夫を加えられ丞相府戸曹参軍に転じ、弘農再征・沙苑の戦いに従いいずれも功あり、車騎将軍・丞相府主簿に除された。洛安郡守に出、大将軍・行台兵部郎中に召され帥都督を加えられた。十二年河南郡守に除され大塢を鎮め、まもなく閻韓に移鎮し辺塁を防いで誠信著しく、東荊州刺史に遷った。昕は仁恵をもって撫し蛮夷は悦び流民の帰附が相継いだ。安定県子・食邑三百戸に封ぜられ、大都督・車騎大将軍・散騎常侍・儀同三司に累遷。孝閔帝踐阼で驃騎大将軍・開府儀同三司に進位。世宗初、胡城県伯・食邑五百戸に進爵。三年九曲城主に除され、保定元年(561年)中州刺史に遷り食邑八百戸を増され、邵州刺史に転じた。二年母喪により去職、まもなく本任に復した。天和初(566年)工部中大夫に召され、陝西総管府長史に出た。昕は温裕・幹能で内外の官で名声著しく、まもなく官位のまま卒した。大将軍を贈られ諡は貞。
- 昕の弟榮は匠師下大夫・中外府中郎・蕃部郡伯・司倉・計部下大夫・開府儀同三司・朝那県伯を歴任し、涇・寧・豳三州刺史を贈られ諡は静。