春秋左傳事類始末邾隠公、来朝する(邾隱公來朝)

邾の隠公が魯に朝見した際の作法を子貢が観察し、両君ともに死の兆しがあると評した予言が、定公の薨去という形で的中したことを記す一篇。

年表(1件)

魯定公十五年(前495年)

  • 邾の隠公が魯に朝見した際、子貢がこれを観察した。邾子は玉を高く捧げ持ち仰ぐ様子であったのに対し、定公は玉を低く受け俯く様子であった。
  • 子貢は「礼から見れば、両君とも死亡の兆しがある。礼とは生死存亡の姿を表すもので、左右の動作・進退・俯仰にそれが現れる。朝見・祭祀・喪礼・軍事はみなこれによって観察できる。今、正月の朝見でどちらも節度を失っている、心はすでに死んでいるも同然だ。めでたい儀式で礼にかなわないのでは長続きしない。高く仰ぐのは驕り、低く俯くのは衰えである。驕りは乱に近く、衰えは病に近い。主君である定公の方が先に亡くなるのではないか」と評した。
  • 五月壬申、定公は薨じた。

史論(仲尼曰)

  • 仲尼は「賜(子貢)の言葉が不幸にも的中してしまった、これでは賜をますます多弁にさせてしまう」と評した。

(原文はこの後、哀公の代の記事に続く。)