春秋左傳事類始末魯、三都を墮つ(魯墮三都)

仲由(子路)が季氏の宰となって三桓の居城(三都)を取り壊す計画を進め、郈・費は取り壊されたものの、成では公斂處父の抵抗により定公の包囲も陥落に至らなかった顛末を記す一篇。

年表(1件)

魯定公十二年(前498年)

  • 仲由(子路)が季氏の宰となり、三桓の居城(三都)を取り壊す計画を進めた。まず叔孫氏が郈を取り壊し、次いで季氏が費を取り壊そうとしたところ、公山不狃・叔孫輒が費の人々を率いて魯を襲った。定公と三桓は季氏の邸に入り武子の台に登った。費の軍勢は攻めたが陥落させられず、公の側近くまで迫ったため、仲尼は申句須・楽頎に命じて下って迎え撃たせた。費の軍は敗走し、国人がこれを追撃して姑蔑で打ち破り、公山不狃・叔孫輒の二人は斉へ亡命した。こうして費は取り壊された。
  • 続いて成を取り壊そうとしたが、成の宰である公斂處父が孟孫に「成を取り壊せば斉人が必ず北門まで迫ってくる。また成は孟氏の防衛拠点であり、成を失うことは孟氏を失うことに等しい。あなたは知らぬふりをしてくれ、私は取り壊さない」と告げた。冬、定公は成を包囲したが陥落させられなかった。