春秋左傳事類始末衛、公叔氏を逐う(衞逐公叔氏)
史鰌が公叔文子に富み驕る公叔戍への懸念を予言し、その死後に衛侯が公叔戍を疎んで追放するに至った、予言が的中する形の一篇。
年表(2件)
- 魯定公十三年(前497年)史鰌が公叔戍の驕りを危ぶみ公叔文子没後に衛侯が戍を疎む
- 魯定公十四年(前496年)衛侯が公叔戍とその一派を追放し戍は魯へ亡命する
魯定公十三年(前497年)
- かつて衛の公叔文子は朝見して霊公を饗応したいと願い出た。退出後に史鰌に会ってこのことを告げると、史鰌は「あなたはきっと禍を招くだろう。あなたは富み、君は貪欲だ、罪はあなたに及ぶのではないか」と言った。文子が「どうすればよいか」と問うと、史鰌は「あなた自身には害はない。臣が富んでいても君によく仕えれば難を免れる、それは上下とも同じこと。しかし公叔戍は驕っている、彼は滅びるのではないか。富んでいて驕らない者は少ない、私はあなたには驕りを見ないが、戍については驕って滅びない例を見たことがない。禍が起きれば戍は必ず巻き込まれるだろう」と答えた。
- 文子が没すると、衛侯はその富を理由に公叔戍を疎み始めた。公叔戍はさらに夫人(南子)の一派を除こうとしたため、夫人は「戍は乱を起こそうとしている」と讒言した。
魯定公十四年(前496年)
- 春、衛侯は公叔戍とその一派を追放した。趙陽は宋へ亡命し、戍は魯へ亡命してきた。