春秋左傳事類始末蔡侯、楚に奔る(蔡侯奔楚)
蔡の平公の葬儀で太子朱が卑しい扱いを受けたことを昭子が凶兆と評し、まもなく費無極の讒言により蔡人が朱を追い出して東国を立て、朱は楚へ出奔するに至った1年の出来事。
年表(1件)
- 魯昭公二十一年(前521年)蔡侯朱が費無極の策謀で国を逐われ楚へ出奔
魯昭公二十一年(前521年)
- 蔡の平公を葬った際、太子朱は序列が低く卑しい地位に置かれた。葬儀に参列した大夫が帰って魯の昭子にこの様子を告げると、昭子は「蔡はこのままでは滅びるのではないか。太子でありながら位が低いままなら、必ず善い終わりを迎えない」と嘆き、『詩経』の「位を怠らねば民はこれに親しむ」の句を引いて、蔡侯(朱)が即位したばかりで卑しい扱いを受けているのはその通りになろうと述べた。
- 冬、蔡侯朱は楚へ出奔した。費無極は東国から賄賂を受け、蔡人に「朱が楚君の命に従わないなら、王は東国を立てようとしている。先に王の意向に従わなければ、楚は必ず蔡を包囲するだろう」と告げた。蔡人は恐れて朱を追い出し東国を立てた。
- 朱は楚に訴え出た。楚王が蔡を討伐しようとすると、費無極は「平侯は楚と盟を結んでいたが、その子(朱)は二心を抱いたために廃されたのだ。霊王はかつて隠太子を殺したが、東国は霊王と同じく朱を憎んでいる。その東国を立てるのは道理にかなっている」と弁じた。