春秋左傳事類始末天王、将に無射を鋳んとす(天王將鑄無射)

周の景王が無射の鐘を鋳造しようとした際、楽官の泠州鳩が過大な音は王の心を損なうと危ぶみ、翌年実際に王が心疾で崩じるまでの2年間。

年表(2件)

魯昭公二十一年(前521年)

  • 周の景王が無射(音律の一つ)の鐘を鋳造しようとした。楽官の泠州鳩は「王はこれによって心の病で亡くなるのではないか」と危ぶんだ。音楽は天子の職分に関わるものであり、鐘は音楽を伝える器である。天子は民情を音として察して楽を作り、その気を鐘に込め、広く行き渡らせる。小さすぎず大きすぎない音であれば万物と調和し、調和した音は耳から入り心に納まる。心がよく受け止められれば楽しめるが、狭すぎたり広すぎたりする音は受け止めきれず、かえって心を乱し病を生む。今の鐘は音が過大であり、王の心はこれに堪えられないだろうと述べた。

魯昭公二十二年(前520年)

  • 夏四月、王が北山で狩りをした際に心疾を発し、乙丑の日に崩じた。