春秋左傳事類始末晋侯、士文伯に日食を問う(晉侯問士文伯日食)
日食を機に晋侯が士文伯に問い、災いの及ぶ国と日食の起こる理由を尋ね、政治の乱れが災いを招くと説かれる。実際にこの年、衛の襄公と魯の季武子が没した。
年表(1件)
- 魯昭公七年(前535年)日食が起こり士文伯が衞・魯に災いが及ぶと予言、両国で実際に卿・君が没する
魯昭公七年(前535年)
- 夏四月甲辰朔、日食が起きた。晋侯が士文伯に「どの国がこの災いを受けるか」と問うと、文伯は「衞と魯だが、衞の方が重く魯は軽い。日食の起きた位置(衞の分野・豕韋の末と、魯の分野・降婁の始め)から見て衞に災いが重く出る」と答えた。
- 晋侯が「詩に『日食のもとで善からぬことが起こる』とあるが、なぜ日食は起こるのか」と問うと、文伯は「善からぬ政治のせいだ。国に政がなく善人を用いなければ、日月の災いを自ら招く。政は慎まねばならず、要は人を選ぶこと・民の心に従うこと・時節に従うことの三つに尽きる」と答えた。
- 秋八月、衞の襄公が没した。斉惡が周に喪を告げ諡号を請うと、周王は成簡公を遣わして弔い、「叔父よ、天に昇られてもなお先王の左右で上帝に仕え、高圉・亞圉の代を忘れないように」と追命した。
- 十一月、季武子が没した。晋侯は伯瑕(士文伯)に「先の日食の予測は的中したが、これは常に当てはまる法則か」と問うと、文伯は「六つの要素(歳・時・日・月・星・辰)が同じでなければ民心も事の順序も官の役割も一様でなく、常に同じ結果になるとは限らない」と答え、詩を引いて人の運命が様々であることを説いた。晋侯がさらに「辰」とは何かと問うと、文伯は「日月が会合する位置のことで、それによって日を配する」と答えた。