春秋左傳事類始末楚共王、卒す(楚共王卒)
楚王が病の際、自らの不徳を悔いて悪諡を望んだが、子囊は王の謙譲を汲んで「共」の諡を提案し大夫たちも従ったという逸話。
年表(1件)
- 魯襄公十三年前560年楚王が没し子囊の提案で「共」の諡が贈られる
魯襄公十三年(前560年)
- 楚王が病み、大夫たちに「私は不徳で、十歳で即位して先君を失い、師保の教えを十分受けぬまま多くの福を受けた。不徳ゆえに鄢での戦に敗れ社稷を辱め、諸卿には大きな心労をかけた。もし諸卿のお陰でこのまま天寿を全うできるなら、葬礼における諡は『霊』か『厲』(いずれも悪諡)を選んでほしい」と告げた。大夫たちは誰も答えなかったが、五度求められてようやく了承した。楚王は没した。
- 子囊が大夫たちと諡を協議した際、大夫たちは「王のご命令があります」と言ったが、子囊は「王は謙って命じられたのだ、それを損なってよいものか。輝かしい楚国を治め、蛮夷を撫し南海を平定して中原諸国と交わらせながら、自らの過ちを自覚しておられた。これを『共』(恭しい)と呼ばずして何としよう」と述べ、「共」の諡を提案し、大夫たちも従った。