春秋左傳事類始末晋、新田に遷る(晉遷于新田)

晉が遷都を協議し、大夫たちは肥沃な郇瑕氏の地を推すが、韓獻子は土地の質が病を招くことを説いて新田を推薦する。晉侯はこれを容れて新田へ遷都した。

年表(1件)

魯成公六年(前585年)

  • 晋は旧都・絳を離れる遷都を協議した。大夫たちは皆「郇瑕氏の地は肥沃で塩池にも近く、国に利があり君主にも楽しみが多い。この機を逃してはならない」と主張した。晋侯は一礼して奥へ下がった。
  • 韓獻子が晋侯に付き従い寝殿の庭に立つと、晋侯は意見を求めた。獻子は「郇瑕氏の地は土が薄く水も浅いため、悪い気が生じやすく、悪い気が生じれば民は愁い、民が愁えば衰弱する。それゆえ水腫や足のむくみの病が流行りやすい。新田の方が土は厚く水も深く、住んでも病を得にくい。汾水・澮水があって悪い気を洗い流せる。民も教化に従いやすく、十代にわたる利益となる。山沢や塩池は国の宝ではあるが、国が豊かすぎれば民は驕り怠け、宝に近すぎれば公室はかえって貧しくなる。楽しみとは言えない」と答えた。
  • 晋侯はこれを喜んで受け入れ、夏、晋は新田へ遷都した。