春秋左傳事類始末梁山崩れる(梁山崩)
梁山が崩れたことを受け、晉侯が伯宗を召そうとする途上、名も知らぬ御者から山川の異変に対する君主の礼(服喪に準じた慎み)を教えられ、伯宗がそれを晉侯に伝えて実行させた逸話。
年表(1件)
- 魯成公五年(前586年)梁山崩壊を受け伯宗が御者に教わった礼を晉侯に伝え実行させる
魯成公五年(前586年)
- 梁山が崩れた。晋侯は駅伝を使って伯宗を呼び寄せようとした。伯宗は道中、重い荷を積んだ車に道を譲るよう求めたが、御者は「私を待つより自分たちで先に行った方が早い」と言い、絳(晋の都)の者だと名乗った。
- 伯宗が絳での出来事を尋ねると、御者は「梁山が崩れたので、伯宗を呼んで対応を相談しようとしている」と答えた。伯宗が「どう対応すべきか」と重ねて問うと、御者は「山は朽ちた土が崩れることもある、どうしようもない。国は山川を主宰する存在だから、山が崩れ川が涸れれば、君主は服喪に準じて食事を減らし、飾りのない車に乗り、音楽をやめ、宮殿を出て仮住まいし、祝には幣を捧げさせ、史官には自らの過ちを述べさせる。礼としてはそれだけのことだ」と答えた。
- 伯宗は御者に会って教えを乞おうとしたが叶わず、そのままこの話を晋侯に伝え、晋侯はこれに従った。