春秋左傳事類始末衛の寗武子、来聘する(衞寗武子來聘)
衛の大夫寗武子が魯を訪れ聘問した際、文公が「湛露」「彤弓」の詩を賦して厚遇したが、寗武子は答礼せず、天子と諸侯の宴礼の本来の意味を説いて過分な礼を辞退した一件。
年表(1件)
- 文公四年(前623年)衛の寗武子が魯に聘問し、過分な宴礼を辞退した
文公四年(前623年)
- 衛の大夫寗武子が魯を訪れて聘問した。文公は宴を催し「湛露」「彤弓」の詩を賦したが、寗武子は答礼の詩を賦さず、辞退もしなかった。
- 魯の使者(行人)がひそかに理由を尋ねると、寗武子は「これらの詩は士大夫が学ぶための曲がたまたま演奏されたのだと思っていた」と答えた。
- 寗武子は続けて、昔諸侯が天子に朝見した際、天子が宴で「湛露」を賦したのは天子が主となり諸侯が命に服する意を表すものであり、諸侯が天子の怒りに代わって功を立てて献上すると、天子は彤弓一・彤矢百・玈弓矢千を賜って功に報いる宴を催したのだと述べた。
- 寗武子は「今、陪臣として旧好を継ぎに来ただけなのに、君が過分な礼物を賜っても、大礼を犯してまで自ら咎を招くことはできない」と述べて辞退した。