春秋左傳事類始末楚、江を滅ぼし秦伯服喪する(楚滅江秦伯降服)

楚が江国を滅ぼすと、同盟にあった秦穆公が度を超えて喪に服し哀悼を示した逸話。大夫の諫めと君子の評(『詩』を引いて穆公の姿勢を称える)を記す。

年表(1件)
  • 文公四年楚が江を滅ぼし、秦穆公が度を超えて喪に服す

文公四年

  • 楚人が江国を滅ぼすと、秦伯はこれを悼んで喪服に近い服装に改め、宮殿を出て別の場所に居を移し、音楽を廃し、食事の品数を減らした。これは隣国の礼にふさわしい度を超えるものであった。
  • 大夫が「同盟国が滅ぼされても救援はできないが、哀悼の意は示すべきではないか。私はむしろ自らの身を省みて恐れているのだ」と諫めた。
  • 君子はこれを評し、『詩』に「かの二国の政が民の支持を得られなかったのを見て、この四国はそれを鑑として深く考え定めた」とあるのは、まさに秦穆公のことを言うものだとした。