春秋左傳事類始末楚、鄧を滅ぼす(楚滅鄧)
楚の文王が申討伐の途上で鄧を通過した際、鄧の甥たちが楚子の殺害を進言したが祁侯は聞き入れなかった。その後、楚は鄧を二度攻め、ついに滅ぼした。
年表(2件)
- 莊公六年(前688年)楚の文王が鄧を通過、甥たちの楚子殺害の進言を祁侯が退ける
- 莊公十六年(前678年)楚が再び鄧を攻め、ついに滅ぼす
莊公六年(前688年)
- 楚の文王が申を討つ途上、鄧を通過した。鄧の祁侯は「わが甥だ」と歓待した。甥の騅甥・聃甥・養甥は「鄧を滅ぼす者は必ずこの人物だ、早く手を打たねば後悔する」と楚子の殺害を進言したが、祁侯は聞き入れなかった。
莊公十六年(前678年)
- 翌年、楚子は鄧を攻めた。さらに後年(十六年)、楚は再び鄧を攻め、ついに滅ぼした。