春秋左傳事類始末楚武王、随を伐つ途上で卒す(楚武王伐隨卒)
楚の武王は隨討伐に出陣する際、夫人・鄧曼に禄運の尽きを予感すると告げ、その予言どおり陣中の樠木のもとで没する。令尹の鬬祁と莫敖の屈重は喪を秘したまま軍を進めて隨を降し、盟約を結び漢水を渡ってから初めて王の死を発表した。莊公四年(前690年)の一件。
年表(1件)
- 莊公四年(前690年)楚の武王が隨討伐の途上で没し喪を秘して隨を服させる
莊公四年(前690年)
- 楚の武王は荊尸の陣法で軍に矛を授け、隨を討とうとした。出陣にあたり夫人・鄧曼に「胸騒ぎがする」と告げると、鄧曼は嘆いて「王の禄運は尽きようとしている、満ちれば揺らぐのが天の道理、先君はこれを知っておられたはずだ、だからこそ軍事に臨み大命を発する際に王の心を揺るがせるのだ、軍に損失がなく王が遠征中に薨じるならばそれも国の福である」と答えた。
- 王は出陣し、樠木のもとで没した。令尹の鬬祁と莫敖の屈重は道を整え、溠水に橋を架け、軍営を張って隨に迫った。
- 隨人は恐れて和を求め、莫敖は王命と称して隨に入り盟約を結び、隨侯にはさらに漢水のほとりでの会見を求めた上で軍を引いた。漢水を渡ってから初めて王の喪を発表した。