春秋左傳事類始末子同(荘公)生まれる(子同生)
桓公の子・子同(後の荘公)が生まれ、太子として迎える礼が行われる。桓公が申繻に命名の作法を問うと、申繻は名付けの五通りの方式と、国名・官名・山川名など避けるべき名の原則を説き、桓公は子同が自分と同じ日に生まれたことから「同」と名付けた。桓公六年(前706年)の一件。
年表(1件)
- 桓公六年前706年子同(後の荘公)が生まれ命名の礼が行われる
桓公六年(前706年)
- 子同(後の荘公)が生まれ、太子として迎える礼が行われた。太牢の供物を用い、占いで選ばれた士が抱き上げ、その妻が乳を与えた。桓公と文姜、一族の婦人らが名を定めた。
- 桓公が命名の作法を申繻に問うと、申繻は名付けには五通りがあると答えた。生まれた事情によるもの(信)、徳によるもの(義)、生まれつきの特徴によるもの(象)、物にちなむもの(仮)、父にちなむもの(類)である。
- 国名・官名・山川の名・忌み名・家畜の名・器物や幣帛の名は用いてはならないとされ、周人は諱(死後の名)で神に仕えるため、生前の名がそのまま死後の忌み名になることを避ける趣旨と説明された。国名を使えば国名自体を避けねばならなくなり、官名を使えば職名が、山川の名を使えばその祭祀が、家畜の名を使えば供物が、器物・幣帛の名を使えば礼そのものが損なわれるとされた。
- 実例として、晋は僖侯の名にちなみ司徒の官名を避けて中軍と改めたこと、宋は武公の名にちなみ司空の官名を避けて司城と改めたこと、魯の先君・献公と武公も二つの山の名を避けて改めたことが挙げられ、重大な事物の名は避けて命名すべきでないと結論づけられた。
- 桓公は、この子が自分と同じ日(同物)に生まれたことにちなみ「同」と名付けた。