春秋左傳事類始末襄仲、宣公を立てる(二)(襄仲立宣公)

魯の文公没後、襄仲は側室敬嬴の子宣公を斉侯の許しを得て擁立し、太子悪とその弟視を殺害、反対した恵伯も殺した。宣公は済西の田を斉に贈って地位を確定させ、後に斉から返還される顛末。

年表(3件)

文公十八年(前609年)

  • 二月、文公が薨去した。かつて側室の敬嬴が宣公を生んでいた。敬嬴は寵愛を受け、ひそかに襄仲に取り入っていた。襄仲は宣公を立てようとしたが、叔仲は反対した。
  • 襄仲は斉侯に謁見してこれを願い出て、斉侯は許可した。冬、襄仲は太子の悪およびその弟の視を殺し、宣公を立てた。
  • 襄仲は主君の命と称して恵伯を呼び出した。恵伯の家宰・公冉務人はこれを止めて「行けば必ず殺されます」と言ったが、恵伯は「君命であれば死んでも構わない」と答えて赴き、殺されて馬糞の中に埋められた。公冉務人は恵伯の妻子を連れて蔡に出奔したが、のちに叔仲氏の家に戻った。

宣公元年(前608年)

  • 平州で会盟し、宣公の地位を確定させた。斉の人々は済水西方の田地を得たが、これは宣公擁立のために斉へ賄賂として贈られたものであった。

宣公十年(前599年)

  • 斉侯は魯が服従したことを理由に、済西の田地を魯へ返還した。