春秋左傳事類始末邾、定公を立てる(邾立定公)
邾の文公没後、正妻の子定公が即位し、次妻の子捷菑は晋に出奔した。晋の趙盾は大軍で捷菑を送り込もうとしたが、邾人の道理ある拒否を聞いて軍を引き上げ、擁立を断念した一件。
年表(1件)
- 文公十四年(前613年)邾の文公が没し定公が即位、捷菑は晋に出奔した
文公十四年(前613年)
- 邾の文公の正妻・斉姜は定公を生み、次妻・晋姫は捷菑を生んだ。
- 文公が亡くなると、邾の人々は定公を即位させ、捷菑は晋に出奔した。
- 晋の趙盾は諸侯の軍八百乗を率いて捷菑を邾に送り込もうとしたが、邾の人々は「斉出身の貜且(定公)の方が年長です」と断った。
- 趙盾(宣子)は「彼らの言い分は道理にかなっており、それに従わないのは不吉である」と述べ、軍を引き上げた。