春秋左傳事類始末斉懿公、弑して立つ(齊懿公弑立)
斉の昭公没後、寵愛薄い側室の子舍が即位したが、恩を売り勢力を蓄えていた公子商人(懿公)に弑され、商人が即位した。魯は周王の威光を借りて子叔姫の引き渡しを求め、翌年斉が送り返す顛末。
年表(2件)
- 文公十四年(前613年)商人が昭公の子舍を弑して自ら位に即いた
- 文公十五年(前612年)斉が子叔姫を魯に送り返した
文公十四年(前613年)
- 斉の昭公の側室・叔姬が舍を生んだが、叔姬は寵愛されておらず、舍も権威を持たなかった。
- 公子商人はしきりに国内に恩恵を施し、多くの士人を集め、自らの家財を使い尽くし、さらに公の役人から借財してまで続けた。
- 夏五月、昭公が薨去し、舍が即位した。
- 秋七月、商人は舍を弑し、位を兄の元に譲ろうとした。元は「お前は長らくこれを求めてきた。私はお前に仕えることもできるが、お前が恨みを溜めることを許さないなら、私を許してくれるだろうか」と述べた。元は商人の専横した政治に服さず、最後まで彼を「公」と呼ばず「あの人」と呼んだ。
- 魯の襄仲は周の王に報告し、王の威光を借りて斉から昭姬(叔姬)を引き取ることを求め、「その子を殺しておきながら、その母を留め置く理由はない」として、引き取って罪を問うことを求めた。
- 冬、単伯が斉に赴き子叔姫の引き渡しを求めたが、斉人は単伯を捕らえ、さらに子叔姫も捕らえた。
文公十五年(前612年)
- 斉の人々は子叔姫を魯に送り返した。これは周王家に関わる事情によるものであった。