樵史通俗演義第三十七回 各鎮将、紛紜として互角し、衆武弁、疲癃にして憐れむべし (各鎮將紛紜互角 眾武弁疲癃可憐)
諸将の不和と人事の混乱
- 朝廷では文武がまとまらず、各鎮の将同士も互いに疑い争い、敵が来ても防ぐ者がいない有様であった。
- 馬士英は何騰蛟を四川・湖広・雲南・貴州・広西の軍務総督に抜擢し、湖広巡撫楊鶚を部に呼び戻そうとしたが、楊鶚は自らの功と左良玉との関係を訴え不満の上奏をして辞職の構えを見せた。
- 左良玉は方国安が自軍の旗号を偽って各地を荒らしていると訴えたが、逆にその子左夢庚には錦衣衛指揮使が世襲で与えられた。
- 忠勇の将黄斌卿は、馬士英が阮大鋮の言を容れて要職から遠ざけ、広西へ転出させた。人々は有能な将を辺境に追いやる馬士英の妬心を非難した。
太子・童氏事件をめぐる上奏合戦
- 総兵劉良佐は太子事件と童氏事件の穏便な解決を求める上奏をしたが、弘光帝は自身は先帝と何ら含むところはないと弁明しつつ両案の真偽究明を続けるよう命じた。
- 吏部尚書張捷は魏忠賢派の旧臣らの名誉回復・恩賞を求める上奏を行い、これが認められたことで内外の疑念はさらに深まった。
- 左良玉は太子の身分を保全するよう強く訴え、弘光帝は一応「太子が本物なら王封を失わせない」と応じたが、実質的には偽物として糾明を続けた。
- 何騰蛟・工部侍郎何楷らも太子の真偽を丁寧に調べるよう繰り返し上奏したが、弘光帝はこれらを退け、何騰蛟の上奏文を焼き捨てるよう命じるなど強硬な態度をとった。
- 江防総督袁継咸は「太子の立ち居振る舞いは市井の子供に真似できるものではない」と痛烈に太子の真実性を訴えたが、弘光帝は「王之明は自白している」として退けた。馬士英は世論の激しさに一度辞意を示したが、慰留されて留任した。
馬士英の隠し財産
- 馬士英は辞意を示しつつも内心は権力を手放す気がなく、賄賂で得た莫大な銀を側近の呉一元・王来蘇に命じて大型の元宝に鋳造させた。
- 呉一元らは銀匠と結託し、元宝の中身に銅や鉄を混ぜて着服する不正を働いた。莫大な手間をかけて百個の元宝(表向き五万両)を鋳造したが、実際には目減りしていた。
武官の実地点検
- 呉一元は馬士英に、阮大鋮の斡旋で咨送された武官には身体に障害のある者や役者上がりの者が多く、実態を伴わない任官が横行していると訴えた。
- 馬士英は兵部大堂で武官を直接閲兵したところ、阮大鋮の紹介した者の中に隻眼・跛足・老いた猫背・体の歪んだ者などが次々現れ、その多くを罷免した。
- 田太監・楊都院の紹介した武官はしっかりした体格の者が多く、馬士英はこれを重用するよう命じた。
- 馬士英は今後の武官任用に際し、最低限の体裁を整えるよう布告を出し、点検に功のあった呉一元を都司に昇進させた。
評語
- 巻末の詩は、賄賂で得た官職が身の丈に合わず、結局は本人にとっても益にならないことを皮肉り、権門への追従が生んだ滑稽と悲劇を戒めている。