樵史通俗演義第三十六回 先帝を祭り逆党偽り哭し、淑女を選び宦官横行す (祭先帝逆黨假哭 選淑女宦官橫行)
朝政は馬士英・阮大鋮が独占
- 朝廷の実権は馬士英が握り、その馬士英の実権はさらに阮大鋮が握る有様で、張捷や楊維垣も二人に逆らえなかった。
- 尚書張捷は、開城して闖賊を迎え入れ勧進まで唱えた成国公朱純臣に、張輔の先例に倣い王を追贈するよう奏請し、馬・阮の後押しで認められた。世間は「朱純臣が死後に王を贈られるなら、光時亨・周鍾らも極刑にする必要はない」と反発した。
- 御史黄耳鼎は、解学龍が権を濫用して逆党から賄賂を受け、光時亨・周鍾らの罪を軽くしようとしていること、張縉彦が賊吏に屈従したこと、防守を怠った将らの罪を糾弾する上奏を行ったが、弘光帝はこれを不問に付し、朝臣は納得しなかった。
先帝への遥祭
- 折しも琉球からの朝貢使が来朝する大事があり、江北を守る史可法らは職務のため出向けず、江防兵部尚書の阮大鋮だけが入朝した。
- 群臣は「新帝が先帝を長らく祭らないのはおかしい」と論じ、馬士英はやむなく弘光帝に奏し、三月十九日に太平門外で先帝を祭る壇を設けることが決まった。工部・戸部は予算を水増しして粗末な壇と祭品を用意した。
- 当日、馬士英が到着し、諸官が拝礼を終えた後、遅れて阮大鋮が紅い蟒服の上に素服をまとって現れ、列にも構わず号泣し、「先帝の死は東林の臣らのせいだ、東林を皆殺しにしなければ先帝に申し訳が立たない」と大声で叫んだ。馬士英が慌てて袖を引いて止めた。
馬士英・阮大鋮らの密談
- 祭祀の後、馬士英は阮大鋮・張捷・楊維垣を自邸に招き密談した。
- 話題は投獄中の童氏(弘光帝の元愛妾と称する女)の処遇。馬士英は「今上が認めない以上、事の真偽は曖昧なまま」とし、阮大鋮は「真偽を問わず立場をはっきりさせるべき」と強硬な処分を主張した。
- また選妃の件では、杭州で選ばれた程氏一人では帝の意に添わず、田太監にさらに多く選ばせて馬・阮の意のままになる者を正宮に据えようと画策した。あわせて東林・復社への根絶やしを誓い合った。
- 左光先の召喚が遅れている件を阮大鋮が咎めると、馬士英は担当の申継揆を罰俸で済ませると答えた。さらに徐汧・魏学濂ら東林の名士への処分も相談し、それぞれ上奏や偽官の罪を口実に追及することにした。
杭州・嘉興での淑女選び騒動
- 太監田壮国が撫按とともに嘉興へ赴き、選妃の触れを出したため、嘉興一帯は大混乱となった。娘のある家はこぞって夜のうちに縁談をまとめ、年頃の釣り合わぬ結婚が続出した。当時の見聞録『繡女記』にもこの騒動の様子が記されている。
- 田太監は嘉興府に居座り、欽差を笠に着て府県官に高圧的に振る舞い、配下の者たちは民家を連日連夜脅かして私腹を肥やした。
- 常秀才という剛直な生員が、配下の乱暴者に娘の差し出しを強要された際、自ら田太監に直訴し道理を説いたところ、田太監はこれに感心して常秀才を厚遇し、乱暴を働いた者たちを杖罰の上追放した。田太監は以後常秀才を客分として重用した。
- 二十日余りかけて選抜した末、王姓・李姓の小家の娘二名が選ばれ、程氏と合わせて三名の淑女が上京することになった。
評語
- 巻末に付された詩は、選妃騒動が民間を巻き込んだ悲喜劇であったことを嘆き、権勢を笠に着た宦官と、それに振り回された庶民の姿を風刺している。