樵史通俗演義第二十四回 忠魂を慰め特旨を褒封し、要典を毀し良言を採納す (慰忠魂褒封特旨 毀要典採納良言)
倪元璐の上奏(東林への偏見を正す)
- 翰林院編修・倪元璐は、崔呈秀・魏忠賢を弾劾した者まで「邪党」と一括りにされる風潮を批判する上奏を行う。
- 東林を一括して悪党視することの誤りを説き、韓爌の清廉さ、文震孟の学識と人格、鄒元標の理学の功績を弁護。また逆璫によって破壊された各地の書院の復興を求めた。
- 崇禎帝はこの上奏を「言い過ぎ」として却下しつつも、書院の勝手な再興は禁じ、部臣・王守履の処分軽減を認めた。
楊維垣との論争
- 魏党の生き残りとされる御史・楊維垣は、倪元璐への反論として、東林を孫党・趙党などの派閥呼ばわりし、韓爌・文震孟らを貶める上奏を行う。
- 倪元璐は再度上奏し、楊維垣の主張を逐一論駁。魏忠賢を「廠臣」と持ち上げていた楊維垣の過去の姿勢を突き、東林の被害者(楊漣・高攀龍ら)の実績を挙げて、正邪の基準は崔呈秀・魏忠賢への態度にこそあると主張した。
- 崇禎帝は双方の対立を収め、意見の融和と人材登用の促進を命じた。
殉難者の名誉回復
- 崇禎帝は、魏忠賢弾劾ゆえに冤罪で死んだ高攀龍・楊漣・左光斗・周起元・万燝・繆昌期・魏大中・周順昌・蘇継欧・周宗建・李応升・黄尊素・周朝瑞・袁化中・顧大章・呉裕中・夏之令・劉鐸・丁乾学・張汶らに対し、追贈・諡号・子孫の任官などの特旨を発し、その忠魂を慰めた。楊漣の遺族には没収された賠償金も返還された。
『三朝要典』の焼却
- 崇禎二年、倪元璐はさらに上奏し、梃撃・紅丸・移宮の三案をめぐり魏忠賢一派が編纂した『三朝要典』が、党争の道具として不当に用いられてきたことを指摘し、焼却と天啓実録の正式な編纂を求めた。
- 崇禎帝はこれを容れ、『三朝要典』を焼却させ、実録編纂の開館を命じた。