樵史通俗演義第九回 涕泣して姻を結び友道を敦くし、縦横に毒を肆にし朝綱を乱す (涕泣聯姻敦友道 縱橫肆毒亂朝綱)
魏大中の連行
- 天啟五年、校尉が楊漣・左光斗・魏大中・周朝瑞・袁化中・顧大章を捕らえに向かい、周朝瑞・袁化中はまず鎮撫司獄に投じられた。
- 魏大中は清廉な官として知られたが、魏広微に「兄」と呼ばせようとした魏忠賢の申し出を拒んだことが遠因となり、楊漣・左光斗ら正人君子と親しかったことも禍を招いた。
- 護送の際、魏大中は「死生は命なり、忠に死し孝に死すのも臣子の分」と家族を諭した。長男の魏学洢は父の身を案じ、姓を変えて後を追った。
- 護送の校尉の中には魏大中の清廉さに理解を示す者もいたが、大中は同年の知友を頼ることもほとんどせず、淡々と京へ向かった。
周順昌との訣別
- 蘇州で吏部の周順昌(周蓼洲)が密かに船を訪ね、酒を酌み交わしながら互いの志を語り合った。
- 周順昌は自分の幼女を魏大中の幼子に嫁がせる約束をし、魏大中の遺児を生涯守ると誓った。この会話は同席していた校尉に聞かれ、後に周順昌自身の禍の種となる。
六君子の拷問
- 京に着いた魏大中は他の五人とともに許顕純のもとで厳しい拷問を受けた。汪文言はすでに獄死しており、無実を証す者はいなかった。
- 「贓銀」の名目で追徴が科され、期限までに納められなければ厳刑に処すとされ、楊漣・左光斗・魏大中・周朝瑞・袁化中・顧大章は繰り返し杖・夾・拶にかけられ、心身とも極限まで痛めつけられた。
- 楊漣は家人に「必ず死ぬゆえ、以後は読書などにこだわらず生きよ」と言い残した。
拡大する粛清と熊廷弼の処刑
- 給事中吳国華が魏党の曹欽程を弾劾したが、逆に自身が処罰される事態となった。
- 御史張訥の建言により天下の書院が破壊され、鄒元標・孫慎行・馮従吾らも除籍された。
- 「皇帝も内閣も魏忠賢が動かしている」との風評が広まると、魏忠賢は自派の尚書・侍郎を強引に入閣させ、恥知らずな振る舞いを見せた。
- 崔呈秀の讒言により、既に投獄されていた熊廷弼が処刑され、九辺に晒された。遼東の軍民は熊廷弼の恩を惜しみ、香を焚いて哀悼した。
六君子の最期
- 拷問はさらに苛烈を極め、楊漣・左光斗・魏大中は同じ夜に相次いで獄死した。許顕純は死亡の報告日をずらして人目を欺いた。
- 袁化中も密かに大監に移されて獄死し、病死として報告された。
- 周朝瑞は許顕純の謀計により絞殺された。
- 最後まで残った顧大章は、贓の弁済を重ねて刑部での裁きを受けたが、斬罪と決まると自ら毒を仰ぎ、それでも死ねずに縊死した。
- こうして六君子はすべて非命に倒れた。