樵史通俗演義第八回 奸計成りて一網打尽、正人敗れて八面に敵を受く (奸計成一網打盡 正人敗八面受敵)

高攀龍・趙南星らの罷免

  • 葉向高退任後、韓爌は正直な人物であったが、内閣の他の者は魏忠賢に阿るばかりで魏党の勢いはさらに増した。
  • 高攀龍は崔呈秀の貪汚を弾劾して恨みを買い、山西巡撫の人選をめぐる讒言から吏科の魏大中も巻き込まれ、趙南星・高攀龍ともに罷免された。
  • 韓爌・朱国楨が「一件で二大臣を退けるのは国体を傷つける」と諫めたが、聞き入れられなかった。

魏広微の失脚

  • 閣老魏広微は祭祀に遅参して弾劾されるも留中され、逆に居直った態度を見せたため李応升に厳しく批判された。
  • 魏広微が魏忠賢を叔父と認めていたことが広まり嘲笑され、最終的に自ら辞職を願い出て許された。

東林弾圧の激化

  • 崔呈秀・阮大鋮・魏広微らが結託し、東林系官員を陥れる動きを強めた。魏忠賢は「元凶已放、群小未安」という威圧的な聖諭を出し、官員たちを畏縮させた。
  • 吏部尚書候補に喬允昇・馮従吾ら清廉の士が挙がったが、魏忠賢は激怒し、陳於廷・楊漣・左光斗を「朋党を組んで正しい詮衡を妨げた」として革職。会推によらず崔景栄・李宗延を強引に任命した。
  • これに異を唱えた陳良訓も左遷された。

孫承宗の召還未遂

  • 閣老韓爌、李邦華、辺境を巡視していた孫承宗は魏忠賢を憂慮していた。孫承宗が兵を率いて入朝しようとしていると誤解した魏広微が魏忠賢を煽り、二人は偽の聖旨を発して孫承宗を関門へ追い返した。
  • 崔呈秀・李蕃が相次いで孫承宗を「擁兵逼都」の逆賊と誣告したが、天啟帝は孫承宗の忠誠を信じ、結局は辞職・帰郷にとどめた。
  • この一件で韓爌・李邦華・繆昌期らも次々に排斥された。

汪文言の獄と六君子逮捕

  • 魏党の徐大化・喬応坤らはさらに東林系官員(李三才・張問達・趙南星・高攀龍ら)を弾劾し、科挙の考官まで降格処分にした。
  • 徐大化は汪文言を再び捕らえて自白を強要する策を献じ、許顕純が拷問にかけたが汪文言は誣告を拒み通した。
  • 許顕純は独断で獄詞を捏造し、汪文言を獄中で死なせて口を封じたうえで、楊漣・左光斗・魏大中・袁化中・周朝瑞・顧大章、および趙南星ら十七名の逮捕を上奏させた。命令はただちに下り、正人君子はまさに八方から攻められる窮地に陥った(詩:忠臣が水を失った瓜のように無力になりながらも、なお志を曲げず涙する姿を悼む)。