樵史通俗演義第七回 楊都憲、疏を具して危うく、葉閣老、辱を受け去るを求む (楊都憲具疏幾危 葉閣老受辱求去)

楊漣、二十四大罪を弾劾

  • 掌都察院の楊漣は蘇州常熟県知事時代から名君として知られた人物で、左光斗・魏大中・周朝瑞・李応升・顧大章ら志を同じくする士とともに忠君愛国を旨としていた。
  • 楊漣は単独で上奏し、魏忠賢の専横・矯旨・忠臣排斥・宮中の不審死(裕妃・皇子の死など)・私設の内操・涿州進香の僭越などを二十四箇条にわたり糾弾した。

天啟帝の対応と葉向高の躊躇

  • 天啟帝は一時疑いを持ったが、魏忠賢の弁明を聞いて機嫌を直し、逆に魏忠賢が辞任を願い出る芝居を打った。
  • 閣老葉向高は楊漣の疏を留め置き、決断を先延ばしにした。その間に客氏らが帝に取り入り、結局帝は楊漣を「事を荒立てる者」と咎める勅を下し、魏忠賢はそのまま留任した。
  • この勅が伝わると朝廷内外の正人君子は動揺し、失望した。

魏大中らの追撃と弾圧

  • 吏科の魏大中は六科の同志十余人と連名で上奏し、楊漣の疏が握りつぶされた不当を訴えたが、逆に詔獄に下される寸前まで追い込まれた(葉向高の取りなしで免れる)。
  • その後も朱欽相・許誉卿・李応升・袁化中・翁正春など多数の官員が次々に魏忠賢を弾劾したが、いずれも「沽名釣誉」として退けられた。
  • 尚書趙彦ら六部の連名上奏も「朕自ら判断する」の一言で退けられた。

葉向高の失脚

  • 魏忠賢は葉向高に「外の者が邪狗のように吠える」と皮肉を言い、葉向高は「暫く身を引くべき」と諭したが、魏忠賢は笑って去った。
  • 葉向高は魏忠賢の辞退と内操廃止を求めたが、帝は逆に魏忠賢の功を賞した。これに憤った郎中の万璟が魏忠賢を董卓・曹操になぞらえて弾劾すると、廷杖百に処され、獄卒に打たれて絶命した。
  • 内侍の胡進が禁門に馬で乗り入れる事件が起きても不問に付され、宦官たちの横暴はますます増した。

林汝翥事件と葉向高の辞職

  • 巡城御史の林汝翥が宦官二名を杖罰したことから恨みを買い、廷杖百の命が下った。林は家を捨てて逃走。
  • 内官たちは林が葉向高の同郷であることから、百余人で閣老の私邸に乱入して婦女を辱め捜索する暴挙に出た。
  • 葉向高は大臣が辱められたことを訴えて辞職を願い出た。帝は林の再処罰を命じつつ、葉向高の辞職を許した。
  • 葉向高退去の後、魏忠賢はさらに放埒となり、正人君子への迫害を強めていく。