樵史通俗演義第六回 涿鹿道上に紅塵滾り、爪牙の班に青簡繁し (涿鹿道上紅塵滾 爪牙班中青簡繁)
内操と魏忠賢の増長
- 魏忠賢は閣老沈㴶を心腹とし、法を厳しく執った王紀、鍾羽正を退けさせた。
- 沈㴶に「内営」設置を上奏させ、天啟帝はこれを許可。宦官三千人を選んで五鳳楼脇に内営を置き、弓馬を操練させ、衣甲・銭糧を与えた。魏忠賢の親戚党羽が入り込み、砲声が百里に響くほどの規模になった。
- 魏忠賢は自ら戎装で馬を乗り回し、天啟帝に見せつけるほど得意になった。
御前で馬を射られる
- 天啟四年二三月、魏忠賢が妃嬪の前を馬で通り過ぎたため、天啟帝は怒って弓でその馬を射殺した。
- 魏忠賢はひれ伏さず、むしろ小宦官の前で「内操があるからには馬に乗るのは当然」と嘯いた。この話が帝の耳に入り、帝は内操を設けたことを悔いたが、結局は沈㴶を非難し、彼を郷里へ帰す処分にとどめた。
- 側近たちに諭され、魏忠賢は改めて帝に詫び、涿州へ進香に行く名目で難を避けることにした。
涿州進香の豪奢
- 魏忠賢の出立は皇帝の巡幸を凌ぐほどの規模で、供の官員・戯子・馬夫・轎夫など数万人が随行し、沿道の民は香を焚いて跪き迎えた。
- 文官は跪礼をしても轎は速度を緩めるのみ、武官がやや礼を尽くせば止まって挨拶を受けるという傲慢ぶりだった。
阮大鋮の取り入りと『点将録』
- 良郷県で阮大鋮が『点将録』(東林党人を梁山泊の好漢になぞらえた誹謗文書)を献上。魏忠賢は喜び、重用を約束した。
- 阮大鋮はさらに『同志録』『天鑒録』『縉紳便覧』の存在を伝え、東林党人の名を魏忠賢に把握させようとした。曹欽程については人物が劣ると進言して除外させた。
東林弾圧の名簿づくり
- 閣老顧秉謙・魏広微は『縉紳便覧』に密かに点を付け、東林一派とみなす葉向高・韓爌ら六、七十名を「邪党」と決めつけた。
- 阮大鋮の一党が結盟し、魏党に付く者に圏点をつける作業を進めた。李永貞・石元雅・涂文輔らが官員の名を密かに控え、昇進・弾劾の判断材料とした。
- 『天鑒録』には東林の首魁として葉向高・孫承宗・韓爌・楊漣・左光斗ら多数、対して魏党側の忠実者として顧秉謙・魏広微・崔呈秀・阮大鋮らが列挙された。
- 『同志録』には東林および東林に近い正直の士(葉向高・楊漣・左光斗・周順昌・劉宗周など多数)が網羅され、一網打尽の対象とされた。
- ほかに『選佛録』という穏健派の名簿もあったが、公にはされなかった。
楊漣らへの警戒
- 魏忠賢の周辺は客氏・王体乾らの内廷勢力と、崔呈秀・魏広微・顧秉謙・阮大鋮・楊維垣・倪文煥らの外朝爪牙で固められた。
- 楊漣・左光斗・魏大中ら少数の正人君子だけはまだ手をつけられずにいたが、彼らの忠義が事態を動かすことになる。