蜀鑑李寿、獠を蜀に入らせる(李夀縱獠於蜀)
成漢の李寿が建元元年(343年)に牂柯から獠を蜀の境内へ引き入れた一件を扱う。帝位を簒奪した李寿は都周辺の空虚を憂えて近郡の民を成都へ移し、あわせて獠を招き入れたため、象山以北はことごとく獠の地となり、巴西・宕渠・広漢などの山谷に十余万落が広がった。その害は唐末まで続き、蜀の風物が長安・洛陽に及ばなくなった原因とされる。
年表(1件)
- 晉康帝
- 建元元年343年李寿が牂柯から獠を蜀へ引き入れ、山谷に十余万落が広がる
晉康帝建元元年(343年)
- 蜀の李寿が牂柯から獠を蜀へ引き入れた。
- 李雄の時代に李寿が朱提を攻めて南中の地を得ていた。李寿は帝位を簒奪すると、都の周辺が空虚であることを憂え、近郡の戸から三丁以上の家を成都へ移し、さらに牂柯から獠を蜀の境内へ引き入れた。
- その結果、象山以北はすべて獠の居住地となった。蜀にはもともと獠はいなかったが、これ以後、巴西・宕渠・広漢・陽安・資中・犍為・梓潼の山谷に十余万落が分布した。
- 当時、蜀人で東へ下った者は十余万家に上り、獠は山谷に沿って残った住民と入り交じって住んだ。混住する者はいくらか租賦を納めたが、深山にいる者は戸籍に編入されなかった。
- 獠は次第に繁殖し、岩窟や谷に拠り、林に隠れ険阻を平地のように歩いた。無知で禽獣に近く、諸夷の中でも道義によって帰服させるのが難しかった。
史論(論曰)
- 蜀の士人は荆州・湘州へ流れ去り、名だたる郡や豊かな土地はすべて獠の住まうところとなった。
- その害は唐末に至ってもなお絶えず、蜀の風物が長安・洛陽に数百年及ばなくなったのはこれが原因である。
- 蜀が中国と通じて以来、これほど酷く長く続いた災いはない。鑑としないわけにはいかない。