史通載言第三

  • 要旨: 言(詔勅・章表・詩賦の類)と事(出来事)は本来別々に記録されていたのに、紀傳体は言を紀傳の中に押し込んで読みにくくしている。表・志のほかに「言」を集める一部門を立てるべきだ、という提言。

言と事はもともと別だった

  • 古くは言を尚書が、事を春秋が記し、左史・右史が職を分けていた。
  • 齊桓公・晉文公の覇業と同盟の紏合は春秋の側の大事だが尚書には無い。秦師の敗績に際しての繆公の誡誓は尚書の側の大言だが春秋には無い。言と事の区別はこれで明らかである。

左傳から史漢へ、言の扱いの崩れ

  • 左氏は古法に従わず、言と事を同じ傳の中に置いた。ただし言事が釣り合い、繁簡の按配が理に適っていたので、読者は飽きずに読み通せた。
  • 史記・漢書はそうではない。広く取り込もうとして文辞の記録が多くなり、賈誼・鼂錯・董仲舒・東方朔らの傳は言を録するばかりで事の記載に乏しい。
  • 一つの事柄を述べていても大きな文章が割り込んで叙述が分断され、読む者は戸惑う。後の史書もこれを改めず、混乱が今に至るまで同じである。
  • 遷・固は君臣を紀傳に列し、遺漏を表・志に収めたが、篇名は広く取ったのに言だけは収める場所を作らなかった。

「書」の部門を立てよ

  • 史を作る者は表・志の外にもう一つ部門(書)を立てるべきである。君主の制・册・誥・令、臣下の章・表・移・檄は紀傳から抜いてすべて書部に入れ、「制册」「章表」のように類ごとに区分する。志に禮樂志・刑法志があるのと同じ理屈である。
  • 詩人の作も一家をなす。風・雅・比・興は三傳の取るところではなく、六義が絶えてから文章が生まれた。韋孟の諷諫の詩、揚雄の出師の頌、司馬相如の封禪の書、賈誼の過秦論のような文は、いずれも紀傳に載せられているが、古詩の例に従って書の中に入れるべきである。舜典が元首の歌を列し、夏書が五子の詠を収めるのと同じである。
  • こうして史の体を改めれば、春秋と尚書の道が備わることになる。
  • 晉の干寶は晉史を撰するにあたり左丘明に準拠し、臣下の委曲は譜注にすべきだと論じ、当時の議者もこれを宗とした。前史の不備を後史が改めるべく、この篇を立てた。異論があるなら後世の賢者を待つ。