史通二體第二

  • 要旨: 史書の体裁は結局のところ編年体(春秋・左傳の系統)と紀伝体(史記・漢書の系統)の二つに尽き、どちらにも長短があるので一方を廃することはできない、という主張。

史書の体裁は二つに落ち着いた

  • 三皇五帝の時代の典籍は遠すぎて詳細が分からない。唐虞から周までが古文尚書だが、当時は文章が簡略で、体裁として整ってはいなかった。
  • 左丘明が春秋を伝え、司馬遷が史記を著したことで、記述の体裁は出そろった。後の書き手は名目を変えることはあっても、この二つの枠を出られない。
  • 荀悅・張璠は左丘明の系統、班固・華嶠は司馬遷の系統である。二家はそれぞれを誇り合っているので、利害を判定しておく必要がある。

編年体の長所と短所

  • 春秋の体は日月を追って年を連ね、中国も外夷も同じ年の下に並べて載せる。事柄が目の前に並び、道理が一言で尽き、同じ話が重複しない。これが長所である。
  • 賢士・貞女や高才の人物でも、要所に関わった者は取り上げて詳しく述べるが、埋もれた者は無理に立てて説かない。絳縣の老人や杞梁の妻は、晉の卿に答えたこと、齊君に応えたことによって記録された。
  • 逆に、柳下惠のような賢者や顔囘のような仁者でも、名も言行も現れないままになる。細部は芥子粒も漏らさないのに、大きなところで丘山を捨てる結果になる。これが編年体の特異な点である。

紀伝体の長所と短所

  • 史記は、紀で大筋を包み、傳で細事を委曲に述べ、表で年と爵位を順序立て、志で漏れを総括する。天文・地理・国典・朝章まで、隠れたものも細かいものも取りこぼさない。これが長所である。
  • 短所は、一つの事柄が数篇に分かれて断続することである。高祖本紀では「語は項羽傳にある」と言い、項羽傳では「事は高祖本紀に具わる」と言う。
  • 同類を並べる際に年月を問わないため、後輩が巻頭に置かれ先輩が末章に落ちる。漢の賈誼が楚の屈原と同列になり、魯の曹沬が燕の荊軻と並べられるのはそのためである。

干寶の左傳礼賛への反論

  • 晉の干寶は左丘明を大いに称え司馬遷を強く抑えて、三十巻の簡約さで二百四十年の事を余さず包んだ、と評した。これは勇ましいだけの言葉だという説を著者は退ける。
  • 春秋時代の出来事のうち左氏が書いたのは三分の一程度にすぎない。左丘明自身それを承知していたからこそ國語を作って補ったのであり、それでもなお漏れが多い。「余さず包んだ」とは言えない。
  • 仮に左傳の書き方で通したとすれば、前漢の嚴君平・鄭子貞、後漢の郭林宗・黄叔度、鼂錯・董仲舒の対策、劉向・谷永の上書のような、徳も名も識見も抜きん出た人物が、身分が低く朝政に関わらなかった、あるいは文が煩雑で順序立てにくい、という理由で書かれずに終わることになる。
  • 逆に情に流されて削らなければ、漢書の志・傳百巻を十二紀の中に詰め込むことになり、瑣末な記事に埋もれて力を失う。

二体は並び立つ

  • 班固はそれを見抜いて紀と傳を区分し、筋道が見えるようにした。荀悅はその迂遠さを嫌い、左氏に倣って班固の史を刈り込み、わずか三十篇にまとめた。歴代これが保たれ、本傳を超える評価を得た。
  • 班・荀の二体は先を争っており、一方を廃するのは難しい。後の書き手もこの二つの道を出ていない。晉史には王隱・虞預がある一方で干寶の紀があり、宋書には徐爰・沈約があり裴子野の略がある。どちらにも美点があって並び行われている。干寶が一家だけを守ろうとしたのとは違う。