新唐書卷二百二十五下 列傳第一百五十下 黃巢

塩商から反乱軍への参加

  • 黄巣、曹州冤句の人。塩の密売で財を成した家に生まれ、剣術・騎射に優れ亡命者を好んで養った。咸通末年の飢饉を機に王仙芝の乱に呼応し、群従8人と数千の兵を率いて河南各地を転戦、勢力は数万に達した。

王仙芝との離反と各地転戦

  • 宋威・曹全晸の討伐を受けつつも各地で連戦。仙芝が投降交渉に応じ官を得ようとした際、賞与の不平等に怒った巣が仙芝を負傷させ、両者は分裂。巣は独自に山東を掠め、江西・浙西・福建へと転戦した。

福建・広州侵攻

  • 「儒者に遭えば殺さず」の軍規のもと福建を侵し、崇文館校書郎黄璞の家を焼かなかった逸話が伝わる一方、処士周樸は従うことを拒み斬られた。広州を攻略後、天平節度使や広州節度使への任官を求めたが拒絶され、これを機に本格的な北上を決意した。

長安占領と大齊の建国

  • 王鐸・李系らの防衛を突破し荊南・江陵を陥落、鄂州・宣州・浙西を席巻。広明元年(880年)、潼関を突破して長安に迫り、高駢の傍観、田令孜らの防備不全もあって12月、長安を占領。僖宗は蜀へ逃れた。
  • 太清宮で即位式を行い国号「大齊」、元号「金統」を建てた。しかし配下の統制は効かず、長安市中では大規模な略奪と大虐殺(「洗城」と呼ばれる)が繰り返された。

官軍の反撃と敗走

  • 鄭畋・程宗楚・唐弘夫ら官軍が反撃を開始し、一時長安を奪還するも巣軍の反撃で再度奪われた。王鐸・李克用ら諸鎮の連合軍が徐々に包囲網を狭め、中和3年(883年)、梁田陂の戦いで大敗を喫し、長安を放棄して東走した。

陳州包囲戦と滅亡

  • 蔡州の秦宗権と結んで陳州を包囲するが落とせず、汴州の朱全忠・太原の李克用の反撃を受けて各地で敗走を重ねた。糧食が尽き人肉を食する惨状も記録される。中和4年(884年)、狼虎谷で追い詰められ、甥(実子とも)の林言に自らの首を託して自刎、林言もこれを果たした後に討たれた。黄巣の乱は終息した。

史論(一)

贊曰:広明元年、黄巣が初めて長安を犯した際、自ら「唐の醜き口を去り黄を著す、明黄まさに唐に代わらん」と述べた。ああ、これは妖言であったろうか。巣の死後、秦宗権が勢力を張り、乱は天下に広がった。朱温がついに神器を奪ったが、これも大方は巣の残党であった。天がこれらの者を通じて世に亡国を告げたのであろうか。