新唐書卷二百二十四上 列傳第一百四十九上 李懷光

朔方節度使から反乱へ

  • 李懐光、渤海靺鞨の出で本姓は茹。郭子儀の信任のもと軍紀を掌握し、涇原の反乱平定などで功を挙げた。建中の田悦討伐では連篋山で敗れたが、その後の朱泚の乱では奉天への急行軍で帝を救援し、副元帥・中書令に進んだ。
  • 盧杞らの讒言により入朝を妨げられたことに憤懣を募らせ、李晟の進言も聞かず出撃を渋った。吐蕃との交渉での不信、鉄券授与への激怒(「疑わしい者に鉄券を賜るのは反せよと言うに等しい」)など、朝廷への不信が深まり、朱泚と通じて反乱に至った。
  • 河中に拠って抗戦したが、貞元元年(785年)8月、部将牛名俊に斬られ57歳で死去。貞元5年、朝廷は外孫に李姓を賜り家系を存続させる詔を出した。

史論

贊曰:懐恩は賊と百戦し、一族で王事に死んだ者は46人に及び功高く威重かったが、それでも禍を防げず、凶徳が心にあれば行き場を得た時に必ず発する。上に逆らうことを厭わなかったのは惜しむべきである。その母が刀を執って賊を追ったのは烈婦というべきだ。懐光は万軍を率いて天子を難から救ったが、一度讒人に阻まれると忿りを収められず身を滅ぼした。讒人もまた憎むべきであり、いわゆる「四国を交乱す」の類である。