集賢院の学士たち
- 趙冬曦、定州鼓城の人。進士及第、左拾遺。神龍初、隋代以来の律令が恣意的に運用され「軽きを挙げて重きを明らかにする」条文の悪用で条目が数百も廃されている現状を批判する上疏を行った。開元初、監察御史から流罪を経て集賢院修撰、考功員外郎、中書舎人内供奉を歴任し、国子祭酒で没した。兄弟の夏日・和璧・安貞・居貞・頤貞・匯貞はいずれも進士に及第した。
尹愔
- 秦州天水の人。父思貞は『春秋』学者。国子大成として三教講釈で聞こえ、諫議大夫・集賢院学士。開元末に没し、左散騎常侍を追贈された。
陸堅
- 河南洛陽の人。給事中兼学士。玄宗の泰山封禅に随行し建安男に封ぜられた。秘書監で71歳で没し、吏部尚書を追贈、諡は懿。
鄭欽説
- 北魏濮陽太守敬叔の八世孫。歴術に通じ、梁の任昉が大同四年に得たという謎の銘文を数理的に解読した逸話が伝わる。李林甫に憎まれ、韋堅事件に連座して夜郎尉に左遷され没した。子克鈞は都官郎中となり、吐蕃の霊州包囲時に糧運を成功させた。
盧僎
- 吏部尚書盧従願の従父。兄盧俌は中宗朝の右補闕で、默啜対策の上疏を残した。