新唐書卷一百九十九 列傳第一百二十四 尹知章

尹知章

  • 尹知章は絳州翼城の人。若くして学んでいたがあまり理解が進まなかったが、ある夜、人が巨大な鑿で自分の心を割り薬を注ぐ夢を見て目覚めると急に思考が開け、以後《六経》に遍く通じるようになった。かつて教えを受けていた諸生たちが、逆に北面して大義を受けるようになったという。
  • 長安中、定王府文学に抜擢され太常博士に転じた。中宗の代、涼武昭王を七廟の始祖とする議論に対し「武昭は遠祖で王業の由来ではない」として反対しこれを阻んだ。陸渾令に出たが事に連座して官を棄てた。当時、罷免された散騎常侍解琬も帰郷しており、共に経術を研鑽して喜んだ。張説の推薦で礼部員外郎に抜擢され国子博士に転じた。馬懐素が秘書の整理を行った際、文字の校訂を委ねられた。
  • 休沐のたびに講義を欠かさず、《易》《老子》《荘子》に深く通じた。貧しい弟子には施しを与え、性は温厚で喜怒を表に出さなかった。産業に無頓着で、子が薪米を買い増して家計に備えようとした際「そなたの計算では貧しい人が何を得られるのか、わたしまで民の利を奪うべきか」と諭した。任地で没した。多くの注釈が世に行われた。門人の孫季良らがその徳を頌し東都国子監の門外に石刻した。

附 孫季良

  • 孫季良は偃師の人、一名翌。左拾遺・集賢院直学士を歴任した。